大雑把に言って、超能力は個人の潜在能力を引き出した力で、霊能力は、他の霊的存在の力を借りて発揮する力である。
引き寄せも全く同じで、超能力で行う場合と霊能力で行う場合があり、霊能力で行った場合、力を借りた霊的存在が厄介なものであった場合、面倒なことになる。
(以上は、あくまで分かり易く、慣例的な用語を使った)

潜在能力を引き出す超能力に関しては、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』で、マスターと呼ばれる人物は「訓練すれば誰でも得られる」と言う。
訓練法は、簡単に言えば集中で、一点をじっと見つめたり、腹式呼吸を長時間行うようなやり方が知られている。
だが、普通は、集中力の訓練は長続きせず、成し遂げるためには、大きな動機を必要とする。
たとえば、政木和三さんの場合、小学3年生の時に、毎日1時間の腹式呼吸を1か月続けたが、それは、吃音(どもり)を治したいという切実な願いがあったからだった。
しかし、このような場合でも、悪い神霊にそそのかされて、願いは叶うが、後で酷い目に遭うこともある。
神霊のことを政木和三さんは生命エネルギーと呼んでいるが、それは確かに存在し、人の中に入って来たり出て行ったりするらしい。
善い神霊であれば良いが、悪い神霊であれば、どんな悪いことが起こるか分からない。

それで、昔から、善良で力ある超能力者、霊能力者達は、「そんな力を求めるな」と言うのである。
メジャーな宗教や、新興宗教なんて、いまや、悪霊による狩場のようなものかもしれない。
物凄く戒律が厳しい宗教は、信者が悪霊のような負のエネルギーに取り込まれないために、そんな厳しい戒律を作ったのだが、よくあるのが、教団幹部や、教祖自体が腐っていることだ。そうであれば、やがて教団全体が腐る。

私も昔、早朝から修行していたら、ある時、目に見えるわけではないが、高速で回転する球体のようなエネルギーの接近を感じ、恐怖を感じたことがある。ある敬虔なキリスト教信者に聞いたら、それはおそらく悪霊の類だと言う。
護符、タリスマン、アミュレットには、力があるものもあるが、どれが本当に良いものかは分かり難いし、それらに力はあっても、持ち主のレベルが低過ぎたら何にもならない。

イエス・キリストや黒住宗忠は、他人に超能力を伝授することが出来、弟子達に、ある程度の病気治しの力を与えている。
これは、イエスや宗忠のような人にしか出来ない。
だが、仏像の中には、見る人の潜在能力を引き出すものがあり、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像がそのようであるという評判があるが、多分、本当だと思う。もちろん、誰が見ても力を得られるわけではない。
誰に聞いたのかは忘れたが(夢の中だったかもしれない)、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の写真や丹念に描かれた絵を、毎日、さりげなく少し見れば、少しは効果があるらしい。
尚、円空作の仏像はかなり良いという。
後、私が長年研究してきたこともあり、説明を始めると、どうしても込み入った話になるが、やっぱり念仏が良い方法である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)魅惑の仏像 弥勒菩薩 ~京都・広隆寺~
(2)円空と木喰 微笑みの仏たち
(3)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)
(4)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(5)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)

羽衣
AIアート1685
「羽衣」
Kay

  
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