仏教は2つに分けられるが、2通りの分け方がある(小乗仏教と大乗仏教の違いについては、今回は触れない)。
・顕教と密教
表に現れた教えである顕教と、隠された秘密の教えである密教。真言密教で有名なのが空海で、その他の、最澄、道元、法然、親鸞など、ほとんどは顕教。
・易行(浄土仏教)と難行(聖道仏教)
易行は、念仏を唱えるだけ。難行は厳しいあらゆる修行を行う。密教も難行とされる。
空海が学んだ真言密教では、修行者が、どの仏と結びつくかを決めるのだが、それには、一種のくじ引きのようなことを行う。
たとえば、沢山の仏の絵が描かれた中に、後ろを向いて花を投げ、その花が落ちたところの仏を守護仏とする。
ただし、どの仏の上に花が落ちても、係の者が、大日如来の上に花を移動させるらしい。
このような儀式によって、修行者は、自分が大日如来と結びついていることを意識するのである。
実際は、神様、仏様には、形も色も大きさも、さらには名前もないのかもしれないが、それでは、人間は意識を向けることが出来ない。
それで、方便として、親しみを感じる神様、仏様を決めるのは良いことであると思う。
イエスの場合は、自分の名を通して祈れば神に届くという方式を採用した。
つまり、父(神)と子(イエス)と聖霊は1つであるということだ。この中の聖霊が独特で難しいが、今回は説明を省く。
私は、幼稚園の年少組の時、キリスト教系の幼稚園に1年通ったが、全員女性だった先生は、心ない冷たい人と感じたし、牧師の話はさっぱり分からなかったので、神様やイエスに対する良い印象を持つことにならなかった。だが、マリア様は非常に優しいお姉さんだという話だけ理解出来たので、マリア様にだけは良いイメージを持ったが、マリア様は神様ではないので、拝み頼む対象と認識しなかった。
神道には、アメノミナカヌシノミコトやアマテラスオホミカミといった神様はいるのだが、本来、神道では、自然を神として崇拝するという信仰であるので、強力な至高の存在を意識することはあまりないかもしれない。
それで、日本では、阿弥陀信仰や観音信仰が盛んであることから、阿弥陀仏や観音菩薩に、強大なパワーを持つ存在であると認識すると時に、親しみを持っている人が多いと思う。
また、天照大神や、虎さんのように帝釈天、物語の影響でギリシャ神話の神、あるいは、ヒンズー教の神に親しみを感じる人もいると思う。
そういったことを偶像崇拝として嫌い、神のような存在は認めながらも、それを宇宙の活力とか、エネルギーと呼ぶ人もいるだろう。
宗教に入る必要はないかもしれないが、何等かの神や仏に親しみを持って頼れば、高次の力の恵みを得やすいことは、間違いないと思う。
人間は、自分より高い存在があることを理解し、謙虚である必要があるのだろう。
私は、ギリシャ神話を愛読する中で、強大な力を持つ女神ヘカテーを崇拝していたのだが、『灼眼のシャナ』のキャラクターである「頂(いただき)の座(くら)ヘカテー」の影響で、ヘカテーに萌えキャラのイメージがついてしまい、好感度は上がりながら(笑)、崇めるのが難しくなった。
今は、『歎異抄』や『選択本願念仏集』、あるいは、『浄土三部経』の影響で、阿弥陀仏のイメージが非常に良いので、念仏でうまくいっているのだと思う。
インドでは、ラーマ神やクリシュナ神の人気が高いそうだが、これは、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』がよく読まれているからである。インドでは、下層民はあまり幸福でない場合が多かったようだが、幸い、これらの物語を読み、神を自分より優れたものとして信仰し、頼った人は恵みを得られたのではないかと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)浄土三部経(現代語版)(浄土真宗本願寺派総合研究所)
(4)神統記(ヘシオドス)
(5)マンガギリシア神話 (1)(里中満智子)
(6)現代語訳 古事記 (福永武彦)
(7)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

AIアート1681
「水の精」
Kay
・顕教と密教
表に現れた教えである顕教と、隠された秘密の教えである密教。真言密教で有名なのが空海で、その他の、最澄、道元、法然、親鸞など、ほとんどは顕教。
・易行(浄土仏教)と難行(聖道仏教)
易行は、念仏を唱えるだけ。難行は厳しいあらゆる修行を行う。密教も難行とされる。
空海が学んだ真言密教では、修行者が、どの仏と結びつくかを決めるのだが、それには、一種のくじ引きのようなことを行う。
たとえば、沢山の仏の絵が描かれた中に、後ろを向いて花を投げ、その花が落ちたところの仏を守護仏とする。
ただし、どの仏の上に花が落ちても、係の者が、大日如来の上に花を移動させるらしい。
このような儀式によって、修行者は、自分が大日如来と結びついていることを意識するのである。
実際は、神様、仏様には、形も色も大きさも、さらには名前もないのかもしれないが、それでは、人間は意識を向けることが出来ない。
それで、方便として、親しみを感じる神様、仏様を決めるのは良いことであると思う。
イエスの場合は、自分の名を通して祈れば神に届くという方式を採用した。
つまり、父(神)と子(イエス)と聖霊は1つであるということだ。この中の聖霊が独特で難しいが、今回は説明を省く。
私は、幼稚園の年少組の時、キリスト教系の幼稚園に1年通ったが、全員女性だった先生は、心ない冷たい人と感じたし、牧師の話はさっぱり分からなかったので、神様やイエスに対する良い印象を持つことにならなかった。だが、マリア様は非常に優しいお姉さんだという話だけ理解出来たので、マリア様にだけは良いイメージを持ったが、マリア様は神様ではないので、拝み頼む対象と認識しなかった。
神道には、アメノミナカヌシノミコトやアマテラスオホミカミといった神様はいるのだが、本来、神道では、自然を神として崇拝するという信仰であるので、強力な至高の存在を意識することはあまりないかもしれない。
それで、日本では、阿弥陀信仰や観音信仰が盛んであることから、阿弥陀仏や観音菩薩に、強大なパワーを持つ存在であると認識すると時に、親しみを持っている人が多いと思う。
また、天照大神や、虎さんのように帝釈天、物語の影響でギリシャ神話の神、あるいは、ヒンズー教の神に親しみを感じる人もいると思う。
そういったことを偶像崇拝として嫌い、神のような存在は認めながらも、それを宇宙の活力とか、エネルギーと呼ぶ人もいるだろう。
宗教に入る必要はないかもしれないが、何等かの神や仏に親しみを持って頼れば、高次の力の恵みを得やすいことは、間違いないと思う。
人間は、自分より高い存在があることを理解し、謙虚である必要があるのだろう。
私は、ギリシャ神話を愛読する中で、強大な力を持つ女神ヘカテーを崇拝していたのだが、『灼眼のシャナ』のキャラクターである「頂(いただき)の座(くら)ヘカテー」の影響で、ヘカテーに萌えキャラのイメージがついてしまい、好感度は上がりながら(笑)、崇めるのが難しくなった。
今は、『歎異抄』や『選択本願念仏集』、あるいは、『浄土三部経』の影響で、阿弥陀仏のイメージが非常に良いので、念仏でうまくいっているのだと思う。
インドでは、ラーマ神やクリシュナ神の人気が高いそうだが、これは、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』がよく読まれているからである。インドでは、下層民はあまり幸福でない場合が多かったようだが、幸い、これらの物語を読み、神を自分より優れたものとして信仰し、頼った人は恵みを得られたのではないかと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)
(3)浄土三部経(現代語版)(浄土真宗本願寺派総合研究所)
(4)神統記(ヘシオドス)
(5)マンガギリシア神話 (1)(里中満智子)
(6)現代語訳 古事記 (福永武彦)
(7)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

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