悪霊の攻撃とか呪いというものは、それがあるように見えても、理屈で否定することは割と容易い。
実際、そういったオカルト現象に遭ったという経験談にも、疑わしいものも多いと思う。
たとえば、いろんなタイプの幽霊との遭遇みたいなものは、幻覚や錯覚であることが、ほとんど、医学的、心理学的に説明出来るようだ。
私は、高校時代くらいから怖い霊体験が何度もあるが、それは、その時期(高校くらい)から、人間関係や社会的なストレスが多くなる中で、心が弱くてそれに耐えられないことから起こるものだと考えれば、そのように思えることも多い。
そんな霊的体験と感じるものの中には、物理的現象を伴うものもあり、とても錯覚とか思い込みと言えないと思うものもあるが、別に本当だと人に主張する気もない。
で、私がそんな怪奇現象に遭ってしまった時、どうしたかというと、ある時期まではなすがままで、神様に助けを求めることもなかった。
だが、ある時期からは阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を心で唱えるようになったが、なんとなく効くようである。
合気道家、神道家の佐々木将人さんの『数霊のメッセージ』によれば、「アジマリカン」とか、「アーン」「アー」と唱えると効果があると書かれているが、これらがぱっと出て来ることはなかった。本人にとっては緊急事態で、よほど馴染のあるものしか頭に浮かばないようだ。
思い込みや錯覚であるのかもしれないが、どんな方法にしろ、本人が信頼を寄せる相手に祈れば、何らかの力が発揮されるように思われる。
引き寄せも、そんな力に似たようなもの(あるいはほとんど同じ)であるかもしれず、私は実用的な面でも、何度も助けられたり、危険を回避したりしていると思う。効果がなければ死んでいたというケースもある。
『Another(アナザー)』という、綾辻行人さんの小説やそれをアニメ化した作品がある(漫画もある)。
私はアニメしか見ていないが、原作に忠実な作品と思う。
この中で、主人公の中学3年生の少年少女や、元教師の男性が、人間の知恵や力では対抗しようのないオカルティック(超自然的)な力に挑むが、相手が強大過ぎ、苦しい戦いになる。
我々が、そんなことに巻き込まれる可能性があるのかどうか分からないが、仮にそうなった時、どうすれば良いだろう。
『Another』では、少年達は、現実的な方法で挑み、霊的、神秘的手段は全く使わない。
特に主人公の少年は頭が良く、理詰めで追及するタイプのようで、それには好感を感じる。著者も頭が良いので、その少年に自分を投影させたのかもしれない。
だが、私なら、頭が悪いこともあるが(笑)、現実的に対抗しようのない力を持つ存在が相手であれば、経験上からも(笑)、高次の力に頼るしかないと思う。
もちろん、問題を切り分けて、現実的に対応・処理すべき部分があればちゃんとやあるべきだが、このお話の場合は、そうではない部分が大きい。
私なら念仏を使うが、仏教の念仏のお話とはやや違う念仏かもしれない。
「南無阿弥陀仏」の阿弥陀仏は偉大な仏様なのであるが、それは、至高の高次の力の象徴としてつけられた名称、あるいは、姿で、実体は人間の感覚や心、想像力で捉えらることは出来ない。
人間の思考、感覚が限定されたものであることを認識し、念仏を通して高次の存在に意識を向けることで、強大な何かにつながることが可能であるのだと思う。
もちろん、方法は「南無阿弥陀仏」だけではなく、無数にあり、自分に合うことをやれば良い。上にも述べた通り、私も真言を使うこともあるが、普段から使っていないと意識を集中させ難い。
それで、私は、霊的な問題や、困難な現実的問題も割と容易に解決出来るように感じるのである。
善なる高次の力は強大で、人に対する思いやりがあるからだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)Another【上下合本版】(綾辻 行人)
(2)Another ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(3)数霊のメッセージ(佐々木将人 )
(4)コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生
(5)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(6)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)

AIアート1678
「白い部屋」
Kay
実際、そういったオカルト現象に遭ったという経験談にも、疑わしいものも多いと思う。
たとえば、いろんなタイプの幽霊との遭遇みたいなものは、幻覚や錯覚であることが、ほとんど、医学的、心理学的に説明出来るようだ。
私は、高校時代くらいから怖い霊体験が何度もあるが、それは、その時期(高校くらい)から、人間関係や社会的なストレスが多くなる中で、心が弱くてそれに耐えられないことから起こるものだと考えれば、そのように思えることも多い。
そんな霊的体験と感じるものの中には、物理的現象を伴うものもあり、とても錯覚とか思い込みと言えないと思うものもあるが、別に本当だと人に主張する気もない。
で、私がそんな怪奇現象に遭ってしまった時、どうしたかというと、ある時期まではなすがままで、神様に助けを求めることもなかった。
だが、ある時期からは阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を心で唱えるようになったが、なんとなく効くようである。
合気道家、神道家の佐々木将人さんの『数霊のメッセージ』によれば、「アジマリカン」とか、「アーン」「アー」と唱えると効果があると書かれているが、これらがぱっと出て来ることはなかった。本人にとっては緊急事態で、よほど馴染のあるものしか頭に浮かばないようだ。
思い込みや錯覚であるのかもしれないが、どんな方法にしろ、本人が信頼を寄せる相手に祈れば、何らかの力が発揮されるように思われる。
引き寄せも、そんな力に似たようなもの(あるいはほとんど同じ)であるかもしれず、私は実用的な面でも、何度も助けられたり、危険を回避したりしていると思う。効果がなければ死んでいたというケースもある。
『Another(アナザー)』という、綾辻行人さんの小説やそれをアニメ化した作品がある(漫画もある)。
私はアニメしか見ていないが、原作に忠実な作品と思う。
この中で、主人公の中学3年生の少年少女や、元教師の男性が、人間の知恵や力では対抗しようのないオカルティック(超自然的)な力に挑むが、相手が強大過ぎ、苦しい戦いになる。
我々が、そんなことに巻き込まれる可能性があるのかどうか分からないが、仮にそうなった時、どうすれば良いだろう。
『Another』では、少年達は、現実的な方法で挑み、霊的、神秘的手段は全く使わない。
特に主人公の少年は頭が良く、理詰めで追及するタイプのようで、それには好感を感じる。著者も頭が良いので、その少年に自分を投影させたのかもしれない。
だが、私なら、頭が悪いこともあるが(笑)、現実的に対抗しようのない力を持つ存在が相手であれば、経験上からも(笑)、高次の力に頼るしかないと思う。
もちろん、問題を切り分けて、現実的に対応・処理すべき部分があればちゃんとやあるべきだが、このお話の場合は、そうではない部分が大きい。
私なら念仏を使うが、仏教の念仏のお話とはやや違う念仏かもしれない。
「南無阿弥陀仏」の阿弥陀仏は偉大な仏様なのであるが、それは、至高の高次の力の象徴としてつけられた名称、あるいは、姿で、実体は人間の感覚や心、想像力で捉えらることは出来ない。
人間の思考、感覚が限定されたものであることを認識し、念仏を通して高次の存在に意識を向けることで、強大な何かにつながることが可能であるのだと思う。
もちろん、方法は「南無阿弥陀仏」だけではなく、無数にあり、自分に合うことをやれば良い。上にも述べた通り、私も真言を使うこともあるが、普段から使っていないと意識を集中させ難い。
それで、私は、霊的な問題や、困難な現実的問題も割と容易に解決出来るように感じるのである。
善なる高次の力は強大で、人に対する思いやりがあるからだ。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)Another【上下合本版】(綾辻 行人)
(2)Another ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(3)数霊のメッセージ(佐々木将人 )
(4)コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生
(5)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(6)選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫)

AIアート1678
「白い部屋」
Kay
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「アビラウンケン→油売らんか」効果だったのかもしれません。
あと関係ないですが、「アブラウランカ」って「アブラカタブラ」にも似てますよね。