その人が、本当はどんな人かは、言葉ではなく行動で分かると言われる。
言うことは立派でも、行動が駄目であれば駄目な人だ。
逆に、口は悪くても優れた人もいる。
ラマナ・マハルシは、滅多に話をしなかったという。
ある時、誰かがマハルシに霊的な質問をしたところ、マハルシは答えなかった。
普通なら、質問者は、マハルシに答を催促するか、諦めて引き下がるかのどちらかになるだろう。
しかし、この時は質問者も立派だった。彼はマハルシに、
「今の沈黙を答と受け取って良いですか?」
と尋ね、マハルシは、
「そうだ」
と答えた。

また、ある人がマハルシにこう尋ねた。
「あなたはなぜ講演を行わないのですか?」
これに対しては、マハルシはこう答えたらしい。
「私は毎日、演壇に立って熱弁を振るっている」
これも、マハルシの普段の沈黙のことを述べているのだろう。
沈黙に優る教えはないのである。

『荘子』の中に、こんな話がある。
偉い人である立派な館の主人が本を読んでいるのを見て、庭で仕事をしていた職人がその主人に、
「先生は何を読んでおられるのですか?」
と尋ねると、主人は、
「昔の偉人の教えだよ」
と答えた。
すると職人は、
「すると、それは昔の偉い人の残りかすみたいなものですね」
と言い、それによって主人は激怒し、職人に申し開きを要求する。
しかし職人は平気で、
「私どもの職人の技だって、言葉で教えられることはほんの僅かで、かすみたいなものですから」
と答える。

偉い人の教えも行動で分かる。
それも、とりとめのない行動に現れることも多い。
ラマナ・マハルシの教えは、沢山の分厚い本に書かれているが、それもマハルシの残りかすかもしれない。
しかし、マハルシの、こんな行いが書かれている。
マハルシは木の枝を拾い、小刀で杖を作り始めた。
長時間、熱心に作り続けた杖の出来栄えが見事だったので、皆驚いた。
すると、マハルシは、向こうからやって来た羊飼いの少年に、その杖をすっと渡し、少年は何気なく受け取って歩いて行った。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻(ナチュラルスピリット)
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)大菩薩峠(全41巻)、法然行伝、他(中里介山)

春風と太陽
AIアート1674
「春風と太陽」
Kay

  
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