特に日本人は、熱戦、接戦によるギリギリの勝利というものが大好きだ。
もちろん、日本人に限らず、白熱した互角の戦いを面白いと感じ、それで応援している方が勝つと感動したりする。
野球、サッカー、ボクシング、テニスなど、あらゆる対戦スポーツのルールがなぜ、こんなに複雑なのかというと、なるべく実力差を吸収し、よほどの実力差がない限り、互角の展開にするためではないかと思う。
プロレスのように、戦いのシナリオが決まっている場合も、大勝負においては、互角の熱戦にして観客や視聴者を喜ばせる。
だが、人気選手が、紙一重の勝負で連勝するのだから、真剣勝負であればあり得ない。
『鬼滅の刃』という国際的な人気アニメは、原作からしてそうなのだろうが、まず、新しい敵が恐ろしく強いことが描かれ、炭治郎が大苦戦の末、奇跡的な勝利を掴むというパターンであるが、実際は、そんな戦いで勝ち続けられるはずがなく、アホらしいと思わないといけないと思う。
娯楽だとしても、見るだけ時間の無駄のような気もする。
昔のアニメで言えば『犬夜叉』が全く同じパターンである。
陸上競技の場合は、たとえば100m走で圧倒的に強い選手がいても、世界記録との戦いという接戦、熱戦があるから観衆は興奮し、主催者は儲かる。
また、1970年代から1980年代にかけて活躍したエドウィン・モーゼスは、400mハードルで圧倒的な強さで、全盛期は勝って当たり前だったが、この場合も、連勝記録や、オリンピックでの連続優勝ということがアピールされる。
モーゼスは107連勝、オリンピックは2回連続金メダルの後、3度目のオリンピックでは銀メダルだった。
接戦、熱戦に釣られる・・・つまり、興奮することを期待し、観客や視聴者になるなら、それは資本家にコントロールされているということかもしれない。
騙されない、冷静な判断力を持ちたいなら、このことに気付かないといけない。
私が好きなアニメで、世界的にヒットしている『俺だけレベルアップな件』も、大変な熱戦でギリギリの勝負が行われ、ヒーローの水篠旬は、毎回、奇跡の勝利を掴む。ここも見どころなのだろうが、私は、そんな部分はやっぱり好きでないのだ。
ところが、原作小説を読むと、水篠旬は、主だった戦いでも、実はほとんど楽勝しているのである。
旬が初めて戦ったダンジョン・ボスである青毒牙カサカとの戦いでは、アニメでは旬は大苦戦の末に勝つのだが、原作ではヘッドロック一発で楽勝している。
紅血のイグリッドに対しては、原作でもアニメ同様、実力ではイグリッドが優るが、それほどいやらしいまでの苦戦はせず、あっさり勝っている。
やはり、アニメ製作において、「苦戦の末に逆転勝利」という見せ場が必要なのだろう。
だが、そこに釣られてはならない。
それが、資本家があなたの金を奪う手法なのである。
苦戦するということは準備不足なのである。
そして、競馬の馬の役をやるのでない限り、苦戦する勝負に参加してはならない。
これは、賢い人であれば、当たり前のことである。
しかし、ギャンブルをやってしまうのは、学校やマスコミを通し、洗脳されている証拠なのである。
孫子は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、当たり前のことを戦いの要諦・・・いや、基礎として提示した。
なのに、我々は負ける可能性のある戦いを好む。
目を覚まし、エリート達の策略に乗らないようにならなければ、負け犬人生になるだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新訂 孫子 (岩波文庫)
(2)流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである(ミスター高橋)
(3)デザインされたギャンブル依存症
(4)やめられない ギャンブル地獄からの生還

AIアート1666
「見極め」
Kay
もちろん、日本人に限らず、白熱した互角の戦いを面白いと感じ、それで応援している方が勝つと感動したりする。
野球、サッカー、ボクシング、テニスなど、あらゆる対戦スポーツのルールがなぜ、こんなに複雑なのかというと、なるべく実力差を吸収し、よほどの実力差がない限り、互角の展開にするためではないかと思う。
プロレスのように、戦いのシナリオが決まっている場合も、大勝負においては、互角の熱戦にして観客や視聴者を喜ばせる。
だが、人気選手が、紙一重の勝負で連勝するのだから、真剣勝負であればあり得ない。
『鬼滅の刃』という国際的な人気アニメは、原作からしてそうなのだろうが、まず、新しい敵が恐ろしく強いことが描かれ、炭治郎が大苦戦の末、奇跡的な勝利を掴むというパターンであるが、実際は、そんな戦いで勝ち続けられるはずがなく、アホらしいと思わないといけないと思う。
娯楽だとしても、見るだけ時間の無駄のような気もする。
昔のアニメで言えば『犬夜叉』が全く同じパターンである。
陸上競技の場合は、たとえば100m走で圧倒的に強い選手がいても、世界記録との戦いという接戦、熱戦があるから観衆は興奮し、主催者は儲かる。
また、1970年代から1980年代にかけて活躍したエドウィン・モーゼスは、400mハードルで圧倒的な強さで、全盛期は勝って当たり前だったが、この場合も、連勝記録や、オリンピックでの連続優勝ということがアピールされる。
モーゼスは107連勝、オリンピックは2回連続金メダルの後、3度目のオリンピックでは銀メダルだった。
接戦、熱戦に釣られる・・・つまり、興奮することを期待し、観客や視聴者になるなら、それは資本家にコントロールされているということかもしれない。
騙されない、冷静な判断力を持ちたいなら、このことに気付かないといけない。
私が好きなアニメで、世界的にヒットしている『俺だけレベルアップな件』も、大変な熱戦でギリギリの勝負が行われ、ヒーローの水篠旬は、毎回、奇跡の勝利を掴む。ここも見どころなのだろうが、私は、そんな部分はやっぱり好きでないのだ。
ところが、原作小説を読むと、水篠旬は、主だった戦いでも、実はほとんど楽勝しているのである。
旬が初めて戦ったダンジョン・ボスである青毒牙カサカとの戦いでは、アニメでは旬は大苦戦の末に勝つのだが、原作ではヘッドロック一発で楽勝している。
紅血のイグリッドに対しては、原作でもアニメ同様、実力ではイグリッドが優るが、それほどいやらしいまでの苦戦はせず、あっさり勝っている。
やはり、アニメ製作において、「苦戦の末に逆転勝利」という見せ場が必要なのだろう。
だが、そこに釣られてはならない。
それが、資本家があなたの金を奪う手法なのである。
苦戦するということは準備不足なのである。
そして、競馬の馬の役をやるのでない限り、苦戦する勝負に参加してはならない。
これは、賢い人であれば、当たり前のことである。
しかし、ギャンブルをやってしまうのは、学校やマスコミを通し、洗脳されている証拠なのである。
孫子は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という、当たり前のことを戦いの要諦・・・いや、基礎として提示した。
なのに、我々は負ける可能性のある戦いを好む。
目を覚まし、エリート達の策略に乗らないようにならなければ、負け犬人生になるだろう。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新訂 孫子 (岩波文庫)
(2)流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである(ミスター高橋)
(3)デザインされたギャンブル依存症
(4)やめられない ギャンブル地獄からの生還

AIアート1666
「見極め」
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