何を善と言い、何を悪と呼ぶかの問題はあるが、世界には善なる神と悪なる神がいると思われる。
悪なる神は普通、悪魔と呼ばれるが、プラスの神とマイナスの神、光の神と闇の神といったように、属性が違う神がいるのだとも考えられる。
そして、宇宙には、善のエネルギーと悪のエネルギーがあって、それぞれが人間に影響を与えることを、昔から人間は感じていたのだろう。
多神教の神の中には、邪悪な性質を持つ神もいるが、キリスト教で、善なる神を父と呼ぶのは、善なる神以外の神もいると考えていたからだと思われる。
仏教においては、仏(如来)は善の存在で、悪の仏はないが、鬼神、邪神の存在が語られることもある。
やはり、高次の力にも、善悪、プラスマイナス、正負があることを認識していたのだろう。

アメリカの公式な標語である「IN GOD WE TRUST(イン・ゴッド・ウィー・トラスト。我々は神を信じる)」では、善の神と悪の神の区別がない。
それで、アメリカは悪の神である宇宙の悪のエネルギーの影響を受け、巨悪が蔓延してしまったのだと思われるのだ。
神がモーセに与えた十戒の第一は「私以外を神とするな」で、やはり、正しい神だけでなく、誤った神も存在し得ることを示している。

太古から人間は、アンドロメダから光のエネルギーが注がれていると考えたが、同時に、土星の影響を受けると愚昧になると言ったように、天体から負の力を受けることも感じていた。
神や宇宙エネルギーにも、善と悪、正と負、プラスとマイナスが存在すると考えた方が良い。
一神教にあっては、ただ神と言うことによって、邪悪な神、邪悪なエネルギーの影響を受ける危険があるのだと思われる。

そこにいくと、念仏というのは、阿弥陀仏という善である至高の存在に頼ることを宣言するのであるから、マイナスの存在の影響を受けることがない。
因幡の源左(いなばのげんざ。1842~1930)という名の妙好人がいた。
妙好人とは、江戸末期から昭和初期に存在した、庶民でありながら念仏行によって悟りを開いた人々である。
源左も教育のない農民であった。
源左は19歳の時に父親が亡くなっているが、源左の父は亡くなる時、源左に「これからは(俺に代わって)親様を頼れ」と言ったらしい。
この親様は阿弥陀如来のことであるが、もしかしたら、源左も源左の父も、阿弥陀如来というものをはっきりとは知らなかったのかもしれない。
また、神の概念もあったと思われるが、「親様」と表現することで、力ある善の存在を指すことが出来たことが源左の幸運であったと思う。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、天照大神を信仰していたが、天照大神を親様と呼ぶことがよくあったようだ。
黒住宗忠は天照大神を神話の女神ではなく、太陽神、あるいは、根本神として崇拝していたのである。

引き寄せでも、「潜在意識にまかせる」とか言いながら、「潜在意識を書き換える」というように、潜在意識が悪に染まっている可能性があることを示している。悪に染まった潜在意識にまかせたら大変ではないか?
同じく、悪の神、悪の宇宙エネルギーにまかせてもいけない。
こんなことを知らないから、アメリカに悪が蔓延ったのではないか?
そこにいくと、念仏というのは、善なる至高の存在である阿弥陀如来に一切をまかせるという宣言なのであるから危険がない。
このように、高次の存在に頼る際、力ある悪の存在に取り込まれないよう工夫をした方が良いと思われる。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新版 歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
(2)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
(3)黒住宗忠 (人物叢書 新装版)

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