新約聖書の福音書を読むと、イエスより先に、ヨハネ(洗礼者ヨハネ、洗礼のヨハネなどと呼ばれる)が、「神の国は近付いた」と言っている。
そして、イエスも「神の国は近付いた」と言う。
だが、いまだ誰も、神の国が何であるか明確に言わない。
ヨハネやイエスから約2千年。神の国は、もうとっくに来ていると思われるが、いまだ神の国が来た記録はない。
だが、考え方を変えると不思議ではなくなる。
それは、「神の国はとんでもなく遠くにある」と考えることだ。
たとえば、アンドロメダ星雲のことを考えると良い。
銀河系とアンドロメダ星雲の距離は約250万光年。
銀河系とアンドロメダ星雲は、秒速約120km(時速約40万km)という猛烈なスピードで接近しているらしい。
すると、衝突は約45億年先と言われている。
銀河系とアンドロメダ星雲なら、イエスの時代も今も「近付いた」あるいは「近付いている」と言うことが出来る。
仏教でも、阿弥陀如来の国である西方極楽浄土は、かなり遠くにあるとされている。
ところが、中将姫(747~775。架空の人物)が当麻寺で念仏を唱えていると、阿弥陀如来が25の菩薩を引き連れて來迎し、中将姫を生きたまま西方極楽浄土に連れて行ったという。
また、『浄土三部経』と言われる3つの教典の1つ『観無量寿経』には、念仏を唱えた者は死ぬと、それぞれの人のレベルに応じ、如来(仏)や如来の代理が迎えに来、瞬間で西方極楽浄土に行けると書かれている。
『法華経』にも、仏は、沢山の仏の国を、短い時間で巡ることが出来ると書かれている。
さらに、多くの高僧が、この世をそのまま極楽浄土にすることが出来ると言ったり、極楽浄土は心の中にあると言ったりもしている。
天国、極楽浄土、高天原などと言えば宗教的だが、並行宇宙とかシミュレーション仮説のことを考えれば理屈でも概要が掴めてくる。
現代の念仏の教えの源流に近い、曇鸞(どんらん。476~542)という僧がいるが、彼は『仙経』という仙道の秘法書を得たが、『観無量寿経』を得ると、その内容に驚き、『仙経』を捨ててしまったと言う。
『観無量寿経』は、サンスクリット語の原典が見つからないので誰かの創作であるとも言われているが、あれはいくら想像力があっても、当時の人では書けないと思われる。ひょっとしたら、書いたのは宇宙人かもしれない。そう考える方がまだ自然と思われる。
ということで、念仏というのは、パラレルワールド(並行宇宙)と何等かの関係を結ぶための起動スイッチ、あるいは、コマンドのようなものかもしれない。
一休さんは、念仏は火打石のようなもので、念仏を唱える、即ち、火打石を叩くことにより、火花を発するように仏性を出すことが出来ると言っている。
阿弥陀如来とは、無限の光と寿命を持つ仏と言われ、何かの無限のエネルギーと知性であるのだと考えられる。
念仏によって、そこに意識を向ければ、阿弥陀如来、あるいは、西方極楽浄土のエネルギーを受けるのだと思う。
我々は、葬式仏教の影響で、念仏とか阿弥陀如来とか西方極楽浄土について古い偏見を持っているが、本当はもっと有難いものであるのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)浄土三部経(現代語版)(浄土真宗本願寺派総合研究所)
(2)現代日本語訳 浄土三部経(正木晃)
(3)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根卓郎)
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

AIアート1658
「見習い天使」
Kay
そして、イエスも「神の国は近付いた」と言う。
だが、いまだ誰も、神の国が何であるか明確に言わない。
ヨハネやイエスから約2千年。神の国は、もうとっくに来ていると思われるが、いまだ神の国が来た記録はない。
だが、考え方を変えると不思議ではなくなる。
それは、「神の国はとんでもなく遠くにある」と考えることだ。
たとえば、アンドロメダ星雲のことを考えると良い。
銀河系とアンドロメダ星雲の距離は約250万光年。
銀河系とアンドロメダ星雲は、秒速約120km(時速約40万km)という猛烈なスピードで接近しているらしい。
すると、衝突は約45億年先と言われている。
銀河系とアンドロメダ星雲なら、イエスの時代も今も「近付いた」あるいは「近付いている」と言うことが出来る。
仏教でも、阿弥陀如来の国である西方極楽浄土は、かなり遠くにあるとされている。
ところが、中将姫(747~775。架空の人物)が当麻寺で念仏を唱えていると、阿弥陀如来が25の菩薩を引き連れて來迎し、中将姫を生きたまま西方極楽浄土に連れて行ったという。
また、『浄土三部経』と言われる3つの教典の1つ『観無量寿経』には、念仏を唱えた者は死ぬと、それぞれの人のレベルに応じ、如来(仏)や如来の代理が迎えに来、瞬間で西方極楽浄土に行けると書かれている。
『法華経』にも、仏は、沢山の仏の国を、短い時間で巡ることが出来ると書かれている。
さらに、多くの高僧が、この世をそのまま極楽浄土にすることが出来ると言ったり、極楽浄土は心の中にあると言ったりもしている。
天国、極楽浄土、高天原などと言えば宗教的だが、並行宇宙とかシミュレーション仮説のことを考えれば理屈でも概要が掴めてくる。
現代の念仏の教えの源流に近い、曇鸞(どんらん。476~542)という僧がいるが、彼は『仙経』という仙道の秘法書を得たが、『観無量寿経』を得ると、その内容に驚き、『仙経』を捨ててしまったと言う。
『観無量寿経』は、サンスクリット語の原典が見つからないので誰かの創作であるとも言われているが、あれはいくら想像力があっても、当時の人では書けないと思われる。ひょっとしたら、書いたのは宇宙人かもしれない。そう考える方がまだ自然と思われる。
ということで、念仏というのは、パラレルワールド(並行宇宙)と何等かの関係を結ぶための起動スイッチ、あるいは、コマンドのようなものかもしれない。
一休さんは、念仏は火打石のようなもので、念仏を唱える、即ち、火打石を叩くことにより、火花を発するように仏性を出すことが出来ると言っている。
阿弥陀如来とは、無限の光と寿命を持つ仏と言われ、何かの無限のエネルギーと知性であるのだと考えられる。
念仏によって、そこに意識を向ければ、阿弥陀如来、あるいは、西方極楽浄土のエネルギーを受けるのだと思う。
我々は、葬式仏教の影響で、念仏とか阿弥陀如来とか西方極楽浄土について古い偏見を持っているが、本当はもっと有難いものであるのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)浄土三部経(現代語版)(浄土真宗本願寺派総合研究所)
(2)現代日本語訳 浄土三部経(正木晃)
(3)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根卓郎)
(4)新約聖書 福音書 (岩波文庫)

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