ライトノベルという言葉が一般用語として通用するのかは、私は今も疑問だ。世代にもよるのだろうが、若くても知らない人は知らないし、年配でも知っている人は知っている。
SNSとかAIとかIoTのように、「現代の常識」というほどではないし、「知っていた方が良い」とすら言い難い。
GPUとかヒッグス粒子のように、十分に説明出来たら知的であるというのとも全然違う。
そもそも、ライトノベルの正確な定義などないと思う。そのくらい曖昧なものだ。
ライトノベルは、単に小説なのだが、その言葉通り「軽い小説」という雰囲気だが、軽いか重いかは、読む人の価値観次第だ。
いろいろ考えるに、私は、ライトノベルなんてものは存在しないと結論付けた。
百年後の世界で、「この作品は、当時、ライトノベルと呼ばれました」なんて言われることのイメージが出来ない。
昔だって、ある種の小説や、あるいは、ある種の絵画などが、独特な名称で呼ばれていたが、現代では一般的には知られていないということはあると思う。
SF小説だって、SFとその他の小説を分ける意味はないと思う。
ライトノベル同様、SFといったら、その他の小説より価値が低いというイメージがあると思う。
これは全く不当な評価だろう。
カート・ヴォネガットやコリン・ウィルソンといった大作家が、SF作家として知られるH.G.ウェルズを最高の作家の1人と言ったように、SFやSF作家の価値が低いはずがない。
最も成功したライトノベルの1つと言われる『涼宮ハルヒシリーズ』の著者、谷川流さんのインタビューで、私には印象深いものがあった。
それは、「谷川さんの文章を参考にする若い作家が増えているが、それについてどう思うか?」のような質問に対し、谷川さんが「もっといい人のを参考にして欲しい」といった感じの返事をしたことだ。
確かに、谷川さんの文章は表現がユニークだという印象がある。
例えば、『涼宮ハルヒシリーズ』で、朝比奈みくる(高校2年生だが、実年齢不明で中学生にも見える)について、キョン(主人公。高1男子)が「羽を付けたら天国に飛んでいってしまいそう」とか、私服の彼女を見て「ポケットに入れて持って帰りたい」と思う等、みくるが小柄でロリな美少女であることを見事に表現していた。
長門有希については、何かの時に、「初めて声を出したアマガエルのように」と、意味は分からいながら、状況に非常にマッチしていたのか、印象深かった。
谷川さんの言う「もっといい人」は誰かというと、私は宮沢賢治を思い出す。
宮沢の表現のユニークさは、知っている人は知っているだろう。ただ、やはり時代の違いもあってか、面白いがピンとこないというものもあるだろう。
宮沢の擬音表現も面白く、2011年に初演が行われた冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』で、宮沢の詩の歌が歌われたが、『風の又三郎』での、風の表現の「どっどど、どどぅど」は、今聞いても非常に良い。
また、『星めぐりの歌』(宮沢賢治作詞・作曲)も合掌で歌われたが、これはもう珠玉の詩であると思う。
『銀河鉄道の夜』の小説は、読んでいて、何度も陶酔する感じだが、『イーハトーヴ交響曲』で初音ミクや合唱団が何度も繰り返した「ケンタウルス、露を降らせ」も、短いながら素敵な表現と思う。
谷川流と宮沢賢治の違いは、谷川の作品は膨大な収益を上げ、作家自身もそれなりに儲けたと思うが、宮沢は執筆ではほとんど(全くに近い)収入を得ていないことだ。いい加減なことを言えば、宮沢は、ある童話集で、出版社から5円の原稿料を貰ったのが唯一の作家収入で、これは今なら10万円程度かと思う。
宮沢と同じ37歳で亡くなったゴッホも、自身は絵画で全く収入を得ていない。
ただ、宮沢は実家が金持ちで、生涯経済的には豊かだったし、ゴッホは、絵画制作だけでなく、生活の一切の面倒を弟のテオが見てくれた。
個人的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』を人類3大神秘小説と思っているが、別に、これらをライトノベルと言おうがSFと言おうが構わないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
(2)銀河鉄道の夜(宮沢賢治)
(3)イーハトーヴ交響曲[CD](冨田勲。日本フィル。初音ミク)
(4)冨田勲イーハトーヴ交響曲 ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV [Blu-ray]
(5)星の王子さま(サン=テグジュペリ)
(6)かもめのジョナサン【完成版】(リチャード・バック)

AIアート1624
「山の精」
Kay
SNSとかAIとかIoTのように、「現代の常識」というほどではないし、「知っていた方が良い」とすら言い難い。
GPUとかヒッグス粒子のように、十分に説明出来たら知的であるというのとも全然違う。
そもそも、ライトノベルの正確な定義などないと思う。そのくらい曖昧なものだ。
ライトノベルは、単に小説なのだが、その言葉通り「軽い小説」という雰囲気だが、軽いか重いかは、読む人の価値観次第だ。
いろいろ考えるに、私は、ライトノベルなんてものは存在しないと結論付けた。
百年後の世界で、「この作品は、当時、ライトノベルと呼ばれました」なんて言われることのイメージが出来ない。
昔だって、ある種の小説や、あるいは、ある種の絵画などが、独特な名称で呼ばれていたが、現代では一般的には知られていないということはあると思う。
SF小説だって、SFとその他の小説を分ける意味はないと思う。
ライトノベル同様、SFといったら、その他の小説より価値が低いというイメージがあると思う。
これは全く不当な評価だろう。
カート・ヴォネガットやコリン・ウィルソンといった大作家が、SF作家として知られるH.G.ウェルズを最高の作家の1人と言ったように、SFやSF作家の価値が低いはずがない。
最も成功したライトノベルの1つと言われる『涼宮ハルヒシリーズ』の著者、谷川流さんのインタビューで、私には印象深いものがあった。
それは、「谷川さんの文章を参考にする若い作家が増えているが、それについてどう思うか?」のような質問に対し、谷川さんが「もっといい人のを参考にして欲しい」といった感じの返事をしたことだ。
確かに、谷川さんの文章は表現がユニークだという印象がある。
例えば、『涼宮ハルヒシリーズ』で、朝比奈みくる(高校2年生だが、実年齢不明で中学生にも見える)について、キョン(主人公。高1男子)が「羽を付けたら天国に飛んでいってしまいそう」とか、私服の彼女を見て「ポケットに入れて持って帰りたい」と思う等、みくるが小柄でロリな美少女であることを見事に表現していた。
長門有希については、何かの時に、「初めて声を出したアマガエルのように」と、意味は分からいながら、状況に非常にマッチしていたのか、印象深かった。
谷川さんの言う「もっといい人」は誰かというと、私は宮沢賢治を思い出す。
宮沢の表現のユニークさは、知っている人は知っているだろう。ただ、やはり時代の違いもあってか、面白いがピンとこないというものもあるだろう。
宮沢の擬音表現も面白く、2011年に初演が行われた冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』で、宮沢の詩の歌が歌われたが、『風の又三郎』での、風の表現の「どっどど、どどぅど」は、今聞いても非常に良い。
また、『星めぐりの歌』(宮沢賢治作詞・作曲)も合掌で歌われたが、これはもう珠玉の詩であると思う。
『銀河鉄道の夜』の小説は、読んでいて、何度も陶酔する感じだが、『イーハトーヴ交響曲』で初音ミクや合唱団が何度も繰り返した「ケンタウルス、露を降らせ」も、短いながら素敵な表現と思う。
谷川流と宮沢賢治の違いは、谷川の作品は膨大な収益を上げ、作家自身もそれなりに儲けたと思うが、宮沢は執筆ではほとんど(全くに近い)収入を得ていないことだ。いい加減なことを言えば、宮沢は、ある童話集で、出版社から5円の原稿料を貰ったのが唯一の作家収入で、これは今なら10万円程度かと思う。
宮沢と同じ37歳で亡くなったゴッホも、自身は絵画で全く収入を得ていない。
ただ、宮沢は実家が金持ちで、生涯経済的には豊かだったし、ゴッホは、絵画制作だけでなく、生活の一切の面倒を弟のテオが見てくれた。
個人的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』を人類3大神秘小説と思っているが、別に、これらをライトノベルと言おうがSFと言おうが構わないと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
(2)銀河鉄道の夜(宮沢賢治)
(3)イーハトーヴ交響曲[CD](冨田勲。日本フィル。初音ミク)
(4)冨田勲イーハトーヴ交響曲 ISAO TOMITA SYMPHONY IHATOV [Blu-ray]
(5)星の王子さま(サン=テグジュペリ)
(6)かもめのジョナサン【完成版】(リチャード・バック)

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