思考が消えれば、全知全能の魂の力が解放され、不可能はなくなる。
ただ、現代人は、思考を消して生きるということが、あまりに馬鹿げていると感じる。
ところが、荘子は思考するということを、「区別」「優劣」といったことに絞って語っているので分かり易い。
まず、昔の神人と思われる人間は、区別をしなかった。
私とあなた、私と彼、これとそれ、ここと向こう、昨日と今日、今日と明日、生と死・・・今では異なると認識されることも、神人は区別をしなかった。
そんな神人は神のごとき力を持っていた。
やがて人間は、区別をするようになった。しかし、優劣はつけなかった。
今では、女性を若いとか美人とかで優劣をつけるし、男性を金持ちとか身体の大きさで優劣をつける。
時代が進むにつれて優劣を強く決めるようになり、昔であれば優劣を決めることがなかったことでも、今では優劣を明確に決めたがることも多い。
たとえば、今は、豊かな家の子供と貧しい家の子供が友達になることは難しいが、1万年ほども前は、そんなことは全くなかった。
当時は、豊かな者とさほどでない者の区別はあったかもしれないが優劣をつけることはなく、豊かな者が優れているという考えはなかった。
そんな時代の人間は、神人のように全知全能ではなかったが、非常に知恵があり、現代人から見れば魔法使いや仙人のようであった。

余計な優劣をつけない者の方が賢く、神秘的な力の保護を受ける。
今でも、区別を付けない者は、やはり神人である。
『名人伝』(中島敦)で、究極の弓の名人は言っている。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」
名人は、気が狂っているのでも、冗談を言っているのでもないことは明らかであったという。
そんな名人は、呼吸の有無も分からなかったようだが当然である。呼吸と思考は同じところから出ていて、それらが無ければ無いほど神に近いのである。
『名人伝』は、中国の古典を基に書かれたもので、その基の古典『列子』の中でも、昔話のように書かれているが、古代の知恵がまだ知られていた頃のお話と思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)荘子(1)(中央クラシックス)
(3)李陵・山月記(中島敦。新潮文庫)※『名人伝』収録
(4)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)

見えないもの
AIアート1616
「見えないもの」
Kay

  
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