妙好人(みょうこうじん)という、18世紀から20世紀に、あまり教養のない一般人でありながら悟りを開いたと思われる多くの人々がいた。
特に有名な人では、因幡の源左(いなばのげんざ。1842~1930)と呼ばれた、鳥取県の農民がいる。
妙好人は、浄土真宗を信仰していたという説明が一般的だが、浄土真宗と言うよりは、念仏行者と言った方が正しいと思う。
しかし、なぜ、浄土真宗以外の仏教信仰者に、妙好人のような、悟りを開いた一般人の話があまりないのかというと、浄土真宗の始祖とされている親鸞の教えのシンプル・・・というよりは「気楽さ」にあると思う。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるということに関しては、親鸞の師の法然も同じなのだが、法然の場合は、「念仏を数多く唱えなければならない」という厳しさ、気難しさがあったと思われ、それが、一般の人にとってはハードルが高かったと思う。
しかし、それでも、法然の教えだって、仏教の他の宗派や、他の宗教と比べたら、極めて簡単だ。何と言っても「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えればそれで良く、他のことは一切する必要がないのだから。
さっきも述べたが、法然の教えと親鸞の教えは、「念仏を唱えよ。他は一切必要ない」というところは同じで、実質、差はないのだが、法然が「常に唱えよ」と、多く唱えれば唱えるほど良いと強調したのに対し、親鸞は「多く唱えるのは良いことだが、無理に唱えなくていい」と緩いことを言い、その緩さは「1回だけでもいいし、唱える気があるなら、1回も唱えなくてもいい」という、超甘々なものだった。
しかも、その甘ったれた態度でも救われる・・・どころか、仏に対して甘ったれていればいるほど良いとまで言っていたらしい。
たとえば、「念仏を唱えても、悪いことをしたら仏(ここでは阿弥陀如来)は救ってくれない」という主張に対し、そんなことは1000パーセントなく、「悪いことしたけど救って」と大いに甘えるべきと言ったのである。
ただ、「薬があるからと言って好んで毒を飲む必要はないように、仏がゆるしてくれるからと言って好んで悪いことをする必要もない」と述べているだけである。
以上のことは『歎異抄』に書かれている。
そして、今の時代、念仏である必要もない。
もちろん、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、あるいは、様々な真言でも、好きならどんどん唱えれば良い。
また、仏教でなくても、神の名を唱えることや、他の宗教の真言や祝詞や聖書などの聖典の言葉を唱えたり、賛美歌などの宗教ソングを歌うことも、好きならやれば良いのである。
しかし、宗教である必要もない。
簡単で、気分も良いものの1つが呼吸法だ。
私が好きな「ナ・ダーム呼吸」のように、「ナ・ダーム」という思考を起こし難いという理由だけで作られた言葉を使った呼吸法や、志賀一雅博士が教える「よかった・ありがとう呼吸」や、ネドじゅんさんが教える「エレベーターの呼吸」その他、何でも自分が好きな呼吸法をやれば良いのである。
あるいは、近年のマインドフルネスや引き寄せの法則で有名なエイブラハムの教えのように、ただ呼吸に意識を向けるだけでも良い。
スーパーラーニングで注目された、吸って、いったん止めてから吐くというのは現実的にもメリット(記憶力の向上等)がある。
それをさらに強化したような腹式呼吸により、政木和三さんは小学3年生で超人化した。
政木さんの場合は「7つ吸って7つ止め7つ吐く」から始め、「20吸って20止め20吐く」に達した時、超人化したのである。
呼吸法には、このように優れた効果がある。
肝心なことはただ1つ。
毎日続けられる方法を見つけることである。
私の場合、「吸ってしばらくしてからゆっくり吐く」というのがやり易い。
『弓と禅』にあるように、吸った後、腹が固くなるように張ると調子が良いが、そこらは各自、好きにやれば良いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) ※親鸞の教え。安いが十分
(2)歎異抄(梅原猛)
(3)妙好人 因幡の源左 ※文語体が多い
(4)超能力(関英男)
(5)心霊力(関英男)
(6)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(7)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
(8)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)

AIアート1608
「無垢な頃」
Kay
特に有名な人では、因幡の源左(いなばのげんざ。1842~1930)と呼ばれた、鳥取県の農民がいる。
妙好人は、浄土真宗を信仰していたという説明が一般的だが、浄土真宗と言うよりは、念仏行者と言った方が正しいと思う。
しかし、なぜ、浄土真宗以外の仏教信仰者に、妙好人のような、悟りを開いた一般人の話があまりないのかというと、浄土真宗の始祖とされている親鸞の教えのシンプル・・・というよりは「気楽さ」にあると思う。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるということに関しては、親鸞の師の法然も同じなのだが、法然の場合は、「念仏を数多く唱えなければならない」という厳しさ、気難しさがあったと思われ、それが、一般の人にとってはハードルが高かったと思う。
しかし、それでも、法然の教えだって、仏教の他の宗派や、他の宗教と比べたら、極めて簡単だ。何と言っても「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えればそれで良く、他のことは一切する必要がないのだから。
さっきも述べたが、法然の教えと親鸞の教えは、「念仏を唱えよ。他は一切必要ない」というところは同じで、実質、差はないのだが、法然が「常に唱えよ」と、多く唱えれば唱えるほど良いと強調したのに対し、親鸞は「多く唱えるのは良いことだが、無理に唱えなくていい」と緩いことを言い、その緩さは「1回だけでもいいし、唱える気があるなら、1回も唱えなくてもいい」という、超甘々なものだった。
しかも、その甘ったれた態度でも救われる・・・どころか、仏に対して甘ったれていればいるほど良いとまで言っていたらしい。
たとえば、「念仏を唱えても、悪いことをしたら仏(ここでは阿弥陀如来)は救ってくれない」という主張に対し、そんなことは1000パーセントなく、「悪いことしたけど救って」と大いに甘えるべきと言ったのである。
ただ、「薬があるからと言って好んで毒を飲む必要はないように、仏がゆるしてくれるからと言って好んで悪いことをする必要もない」と述べているだけである。
以上のことは『歎異抄』に書かれている。
そして、今の時代、念仏である必要もない。
もちろん、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、あるいは、様々な真言でも、好きならどんどん唱えれば良い。
また、仏教でなくても、神の名を唱えることや、他の宗教の真言や祝詞や聖書などの聖典の言葉を唱えたり、賛美歌などの宗教ソングを歌うことも、好きならやれば良いのである。
しかし、宗教である必要もない。
簡単で、気分も良いものの1つが呼吸法だ。
私が好きな「ナ・ダーム呼吸」のように、「ナ・ダーム」という思考を起こし難いという理由だけで作られた言葉を使った呼吸法や、志賀一雅博士が教える「よかった・ありがとう呼吸」や、ネドじゅんさんが教える「エレベーターの呼吸」その他、何でも自分が好きな呼吸法をやれば良いのである。
あるいは、近年のマインドフルネスや引き寄せの法則で有名なエイブラハムの教えのように、ただ呼吸に意識を向けるだけでも良い。
スーパーラーニングで注目された、吸って、いったん止めてから吐くというのは現実的にもメリット(記憶力の向上等)がある。
それをさらに強化したような腹式呼吸により、政木和三さんは小学3年生で超人化した。
政木さんの場合は「7つ吸って7つ止め7つ吐く」から始め、「20吸って20止め20吐く」に達した時、超人化したのである。
呼吸法には、このように優れた効果がある。
肝心なことはただ1つ。
毎日続けられる方法を見つけることである。
私の場合、「吸ってしばらくしてからゆっくり吐く」というのがやり易い。
『弓と禅』にあるように、吸った後、腹が固くなるように張ると調子が良いが、そこらは各自、好きにやれば良いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)歎異抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) ※親鸞の教え。安いが十分
(2)歎異抄(梅原猛)
(3)妙好人 因幡の源左 ※文語体が多い
(4)超能力(関英男)
(5)心霊力(関英男)
(6)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(7)左脳さん、右脳さん(ネドじゅん)
(8)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)

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