意識を「高い方」に切り替えることが出来れば、後は何もする必要はない。
それは簡単に出来ることなのだが、どんな簡単なことも、やり方を知らなければ出来ない。
やり方というのは、教えてもらうか、自分で偶然に発見することで自分のものに出来る。
意識の切り替え方というのは、言葉で表現し難いので、教えてもらうことは難しい。
最近売れているらしい『タフティ・ザ・プリーステス』という本では、そのやり方を、たらたらと余計な文言をつけまくって、長々と、読者を混乱させて喜んでいるとしか思えない書き方で述べている。だいたい、タフティなんて、変なオバサン(本では巫女と言っている)を登場させる意味なんてないだろうに。
とはいえ、シンプルに書いたはずの『荘子』でも、やっぱり出来るようになる人は少ないのだ。
ヴァーノン・ハワードだって、そのことを言おうとして、完全に失敗しているとしか思えない。

私が、自分に分かるように言えば「自分は今、何をしているかに気付く」だけなのだが、これで分かるだろうか?
荘子は、「視線を自然にして、何の判断もせずに見る」と言い、十分な言い方だと思うが、ほとんどの人がその通りに出来ない。

私は、それは訓練で出来るようになると気付いた。
その訓練とは、何でもいいから、1つのものをぼんやりと見続けることだ。
何でもいいが、嫌悪感も特別な好感も感じないものが良い。
たとえば、コップとか、ハサミとか。
時計のように、変化するものは使わない方が良いと思う。
私の場合は、4歳くらいの時、ドアノブを見ていた。
そんなものを、ぼんやり見ていたら、意識が切り替わる瞬間が必ず来る。
ずっとやっていたら、それ(意識が切り替わること)がよく分かるようになるので、その感覚を憶えれば良いのである。

意識がずっと高い方にいる人のやることを想うのも効果的だ。
たとえば、こんな話だ。
ある時、ラマナ・マハルシは、木の棒をナイフで削り始めた。
陽が明るい時に始め、マハルシは何時間も休まずそれを続け、夕暮れが迫る頃に杖が完成したが、出来栄えが見事だったので皆驚いた。
その時、向こうから羊飼いの少年が羊を連れて来たが、マハルシはその杖を何気ない様子で少年に手渡し、少年はそれを持って行った。
マハルシは、いつも高い意識で全てを見ているのだろう。

笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』にも、良い話がある。
紋次郎は、天才的な鍛冶師が、早朝から仕事をしているのを、離れたところから見ていた。
一世一代の名刀が出来ようとしていた。
紋次郎は、鞘の中の刀が折れていたが、そんな名刀、紋次郎が買えるはずがないし、その鍛冶師は紋次郎に「あなたには売りませんよ」と言っていた。
日が沈む頃、遂に名刀は完成した。
その間、紋次郎はずっと動かずに見ていた。
鍛冶師は紋次郎のところに行き、紋次郎の刀を受け取ると、折れた紋次郎の刀を柄から外し、完成したばかりの刀を取り付け、無言で紋次郎に渡す。
「お代はいりませんよ」
紋次郎は、ずっと高い意識で見ていたのだ。

さあ、これでやり方が分かっただろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(二)~女人講の闇を裂く~(笹沢佐保)
(2)ラマナ・マハルシとの対話 第一巻
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)

死者の瞳
AIアート1589
「死者の瞳」
Kay

  
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