「悟りを開く」と言ったら、人類史上でも数えるほどの人が成し遂げた大変なことだと思うかもしれないが、実は、悟りを開いた人は案外にいるものだと思う。
「悟りを開く」という表現もいま一つだと思う。
悟りを開いた人のことをブッダと言うが、ブッダとはインドの言葉で「目覚めた者」という意味のようで、インドでは「私は毎朝目覚める」という意味で、「私は毎朝ブッダになる」という冗談が通じるらしい。
それで、日本でも、悟りを開くことを「覚醒する」と言い、悟りを開いた者を「覚醒者」と言うことがある。
実際、「悟り」とは「目覚める」ということで、悪夢を見ている夢から目覚めることだ。あるいは、眠ってはいなくても、普通の人は悪夢の中で生きているので、そこから目覚めるということだ。
つまり、悟りとか覚醒は、特別な状態ではなく、人間本来の状態に戻るだけのことで、誰でも出来て当たり前だし、誰もが実現すべきことだ。

悟りを開いたらどうなるかというと、普通の人から見れば超人になっている。
何人かの、悟りを開いた・・・覚醒した時の状態と、それに至った方法を述べる。
・その1
『死と生の記録』という本に書かれていたと思うが、毎日、一心に念仏を唱えていた人が、ある日、不意に、世界が透明になっていて、外側にあると思っていた世界が実は自分の内側にあると分かったという。
・その2
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』の中にある話で、心神喪失した妻がいつ目覚めるかずっと注意していた男が、妻の意識が戻った時に覚醒した。
彼は、自分の内側から信号を感じるようになり、それによって、考えなくても何が正しいかが分かるようになった。
・その3
これは政木和三さんの話で、彼が小学3年生の時、毎日1時間の腹式呼吸に励み、1分で1回の呼吸が出来るようになったら、母親が読んでいたお経の意味が分かってしまった。政木さんは、そのお経について何も知らなかった。また、習ったこともないピアノが弾けるようになり、しかも、凄い腕前になり、即興演奏も出来るようになった。
・その4
これはネドじゅんさんの話で、毎日エレベーター呼吸という、一種の腹式呼吸に励んでいたら、ある日突然、思考が消え、頭の中が静かになってしまったことを、自分の耳が聴こえなくなったのかと思ったらしい。

上記の人達は、その状態が継続し、元に戻ることはなかったが、一瞬、そんな状態になったという話は多い。
そんな一時的な覚醒を、至高体験、法悦、ゾーン、フローと言うのだと思う。
W.B.イェイツは単純に、万物一体となった感覚を指す「エクスタシー」と呼んだ。法悦も英語ではエクスタシーである。
夏目漱石の「天賓」や、岡本太郎の「爆発」も同じようなものだと思う。
およそ文豪であれば、このことを作品の中に一度は書いているものだが、どうも芸術家の場合は、永続的な悟りではなく、こういった一時的な悟りについてしか言わないようだ。
つまり、芸術とは永遠の悟りの中にはなく、凡人の迷いから生まれるものなのであると思う。
高校の国語の教科書に書かれていたのを憶えているが、ある詩人が、自分の作品は、日常のゴタゴタから生まれるといったことを述べていた。やはり芸術とはそんなものなのだろう。

こう言うと、我欲に囚われて悟れなくなる恐れがあるが、やはり、悟り、覚醒は、超人化すること、全知全能になることだ。
だが、そもそもが、人間は元々が、超人であり全知全能であるのだから、単に、元の自然な状態に戻るだけである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)死と生の記録(佐藤幸治 )
(2)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(3)左脳さん、右脳さん。(ネドじゅん)
(4)精神エネルギー(政木和三)
(5)天才脳の構造・釈迦の悟り(中山正和)
(6)今日の芸術(岡本太郎)

日常
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Kay

  
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