マルチバース(多元宇宙)とパラレルワールド(並行宇宙)は違うものであるが、「別の宇宙が存在する」という観点では同じなので、よく混同して扱われる。
違いを詳しく説明すると、ちょっと難しいが、私は、マルチバースは「全く異なる宇宙」で、パラレルワールドは「基本同じ宇宙」くらいに思っている。
たとえば、マルチバースへ移行したらすぐに分かるが、パラレルワールドへ移行しても気付き難い。
地球が猿の惑星であるのがマルチバースで、アメリカの大統領が違っているのがパラレルワールド・・・みたいに考えて良いのではと思う。
(猿の惑星程度では、全く異なる宇宙とまでは言えないかもしれないが)
ただ、映画や小説で混同して扱われていても、私はいちいち文句は言わない。

人間が若いか若くないかは、直観的に異なる世界が存在することを感じるかどうかではないかと私は思う。
歳を取るごとに、自分のいる世界以外の世界が存在することを感じられなくなるのだ。
それで、実際、歳を取ったら、今と同じ世界、あるいは、同じような世界に居続ける。
だから、引き寄せが異世界への移動なら、歳を取ると、「引き寄せなんか出来ない。引き寄せはない」と思ってしまうのだ。
従って、是非、映画でもアニメでもいいから、マルチバース、パラレルワールドを楽しまなければならない。

私が初めて異世界の概念に接したのは、憶えているところでは、中学1年生の時に読んだ、筒井康隆さんの短編『果てしなき多元宇宙』だった。
この作品は、当時も今も『時をかける少女』と一緒に収録されている(ただし今は角川文庫版のみ)。
『果てしなき多元宇宙』では、美少女女子高生の暢子が、ピアノの鍵盤の黒鍵盤がない(白鍵盤だけ)の世界や、彼氏が秀才で人格者であるがひ弱である世界から、彼氏が殴り合いのケンカも抜群に強い世界へと移行する。それでいえば、多元宇宙(マルチバース)よりは並行宇宙(
パラレルワールド)っぽいが、ピアノの黒鍵盤がない他に、数字の体系が全く異なる世界とかもあり、それで世界が成り立っているのだから、全くの異世界・・・つまり、やはりマルチバースかもしれない。まあ、細かいことはいい(笑 私もよく分からない)。

私が9日前(2025年3月13日)に観た映画『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』は、マルチバースが描かれた素晴らしい映画で、若いつもりなら是非観なければならない(半分冗談だが半分本気)。
この宇宙の人間の想いが、初音ミクがいる別のマルチバースに影響を与えるのだが、初音ミクが居る宇宙は1つではない。
プロジェクトセカイが「セカイ」とカタカナで書く世界は、マルチバースのことなのかなと思う。

『バシャール』を読むと引き寄せが出来るようになってしまうのは、バシャールはパラレルワールドをごく普通に語るので、読んでいると慣れてしまうからではないかと思う。
CLAMPの漫画・アニメの『ツバサ』(アニメのタイトルは『ツバサ・クロニクル』)を、子供の時に見た人は、引き寄せがうまい人が多いと思う。
『ツバサ』は本質的にマルチバースを描いた作品で、『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』と通じるところが多い。

何にせよ、マルチバース、パラレルワールドに馴染むと良いだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)時をかける少女 (筒井康隆。角川文庫)
(2)ツバサ(1)(CLAMP)
(3)バシャール(BASHAR)・ペーパーバック1(ダリル・アンカ)
(4)多元宇宙(マルチバース)論集中講義(野村泰紀)

異世界の生活
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「異世界の生活」
Kay

  
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