手塚治虫さんの『ザ・クレーター』という短編集の中に『巴の面』という話がある。
その中で、美人とかブスというのは相対的なものだということが面白く描かれている。
現代(作品が描かれた1970年頃)の美人の外見が、21世紀の若者には見向きもされず、21世紀の若者がもてはやす美人の外見は、1970年頃の美的感覚の者には奇怪としか思えない。
戦国時代、醜かったことで悲惨な生涯を送った女性がいたが、彼女も21世紀では美人として注目を集めたかもしれないということが、ドラマチックに描かれていて、とても面白い。
2400年以上も前に、荘子は、あらゆるものは相対的で、完成と見えることも異なる見地からは破壊となり、破壊と見えることも他方からは完成と見えることもあると説いていた。善と悪ですらそうであるのだと。
また、やはり1970年頃の梶原一騎原作の漫画『ジャイアント台風』で、力道山がジャイアント馬場に「馬場よ、自分の考え方だけで人を善人、悪人と決めつけては駄目だ」と言う。
アメリカで日本人差別を受け、不利な状態での試合をプロモーター(興行主)に強いられていた馬場にとって、プロモーターは悪人だが、それでお客さんを喜ばせるプロモーターは、お客さんにとっては善人である・・・という、やや極端な理屈ではあるが、一般的に言っても、善人悪人の判断は確かに難しく、一方的であってはならないということは言えると思う。
30周年を記念して、CLAMP(4人組の漫画家ユニット)の漫画作品『魔法騎士レイアース』の新アニメ化の話が上がっているが、CLAMPはこの作品で「この世に絶対的悪、絶対的正義はないということを描いた」といったことを、何かのインタビューで言っていたと思う。
セフィーロという世界(マルチバースの中の1つの宇宙と思われる)を滅ぼそうとしていた悪であるザガートを、正義のマジックナイト達が倒すのだが、実はザガートはメタ(超越的した。高次の)的には善であったかもしれないというもので、それ以前の漫画、アニメ、あるいは、物語というものの概念を変えた・・・少なくとも挑戦した作品と言えると思う。
だが、相対的という言葉で最も有名なアインシュタインは、全ては相対的であるが、唯一、光速だけは絶対であるとし、それは定説となっている。
それと同じくらいの確信を持って、「全ては相対的だが、愛は絶対だ」と言う者がいる。それはそうかもしれないが、ほとんどの人にとって、愛とは愛情のことで、愛情ほど相対的なものはない。「愛は絶対だ」と言う者ほど、愛と愛情を混同していて、それが世界の混乱を引き起こしているように思える。わが子を愛していると言う者は、他の子を容易く憎む。それは愛情であって、愛ではない。しかし、それを理解しない者が多い。
人間の真の能力・・・筋力や学力といった目に見えるものだけでなく、直観、引き寄せなどまでを含めた能力を示す絶対的指標があるのかというと、『パワーかフォースか』の中でデヴィッド.R.ホーキンズ博士のキネシオロジーという、人間を1000点満点で評価する方法があるらしいが、とても難しいものだ。
しかし、かなり正確なものとして、呼吸数があると私は思う。
呼吸数が少ないほど優秀である。馬鹿げているように思えるかもしれないが、これがほとんど間違いがないのである。
普段から、静かで長い呼吸を心がければ、それが修行になり、呼吸数は少なくなる。
なぜそれで力が上がるかの理論は何度も示したが、大切なのは実践で、実践をすれば自ずと分かると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)ザ・クレーター 2(手塚治虫)
(3)魔法騎士レイアース(1)(CLAMP)
(4)ジャイアント台風1(梶原一騎。辻なおき)
(5)パワーかフォースか(デヴィッド・R・ホーキンズ)

AIアート1544
「小さな観客」
Kay
その中で、美人とかブスというのは相対的なものだということが面白く描かれている。
現代(作品が描かれた1970年頃)の美人の外見が、21世紀の若者には見向きもされず、21世紀の若者がもてはやす美人の外見は、1970年頃の美的感覚の者には奇怪としか思えない。
戦国時代、醜かったことで悲惨な生涯を送った女性がいたが、彼女も21世紀では美人として注目を集めたかもしれないということが、ドラマチックに描かれていて、とても面白い。
2400年以上も前に、荘子は、あらゆるものは相対的で、完成と見えることも異なる見地からは破壊となり、破壊と見えることも他方からは完成と見えることもあると説いていた。善と悪ですらそうであるのだと。
また、やはり1970年頃の梶原一騎原作の漫画『ジャイアント台風』で、力道山がジャイアント馬場に「馬場よ、自分の考え方だけで人を善人、悪人と決めつけては駄目だ」と言う。
アメリカで日本人差別を受け、不利な状態での試合をプロモーター(興行主)に強いられていた馬場にとって、プロモーターは悪人だが、それでお客さんを喜ばせるプロモーターは、お客さんにとっては善人である・・・という、やや極端な理屈ではあるが、一般的に言っても、善人悪人の判断は確かに難しく、一方的であってはならないということは言えると思う。
30周年を記念して、CLAMP(4人組の漫画家ユニット)の漫画作品『魔法騎士レイアース』の新アニメ化の話が上がっているが、CLAMPはこの作品で「この世に絶対的悪、絶対的正義はないということを描いた」といったことを、何かのインタビューで言っていたと思う。
セフィーロという世界(マルチバースの中の1つの宇宙と思われる)を滅ぼそうとしていた悪であるザガートを、正義のマジックナイト達が倒すのだが、実はザガートはメタ(超越的した。高次の)的には善であったかもしれないというもので、それ以前の漫画、アニメ、あるいは、物語というものの概念を変えた・・・少なくとも挑戦した作品と言えると思う。
だが、相対的という言葉で最も有名なアインシュタインは、全ては相対的であるが、唯一、光速だけは絶対であるとし、それは定説となっている。
それと同じくらいの確信を持って、「全ては相対的だが、愛は絶対だ」と言う者がいる。それはそうかもしれないが、ほとんどの人にとって、愛とは愛情のことで、愛情ほど相対的なものはない。「愛は絶対だ」と言う者ほど、愛と愛情を混同していて、それが世界の混乱を引き起こしているように思える。わが子を愛していると言う者は、他の子を容易く憎む。それは愛情であって、愛ではない。しかし、それを理解しない者が多い。
人間の真の能力・・・筋力や学力といった目に見えるものだけでなく、直観、引き寄せなどまでを含めた能力を示す絶対的指標があるのかというと、『パワーかフォースか』の中でデヴィッド.R.ホーキンズ博士のキネシオロジーという、人間を1000点満点で評価する方法があるらしいが、とても難しいものだ。
しかし、かなり正確なものとして、呼吸数があると私は思う。
呼吸数が少ないほど優秀である。馬鹿げているように思えるかもしれないが、これがほとんど間違いがないのである。
普段から、静かで長い呼吸を心がければ、それが修行になり、呼吸数は少なくなる。
なぜそれで力が上がるかの理論は何度も示したが、大切なのは実践で、実践をすれば自ずと分かると思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)ザ・クレーター 2(手塚治虫)
(3)魔法騎士レイアース(1)(CLAMP)
(4)ジャイアント台風1(梶原一騎。辻なおき)
(5)パワーかフォースか(デヴィッド・R・ホーキンズ)

AIアート1544
「小さな観客」
Kay
人気ランキング参加中です |
![]() ![]() |