私は、「潜在意識が万能の力を持つ」というのに違和感がある。
潜在意識はあくまで、意識が出来ない深い心の領域を指すのであり、願望を叶える力がそこにあるとは思えない。
「潜在意識の法則」では、「潜在意識=神」となるが、それは不自然と思えるのだ。
関英男博士の考え方では、宇宙のどこかに巨大な万能コンピューターがあり、人間の脳は、そこにアクセス可能な端末コンピューターだ。
端末コンピューターは性能が低いので、願望を叶えるといった力は弱い、あるいは、ない。
そこで、端末コンピューターは、巨大万能コンピューターにアクセスして願望を託すことで願いが叶う。
これは、たとえとしては悪くないが、まだしっくりこない。
そこで、中山正和さんは、脳の中に、神か仏の欠片のようなものがあり、それが強力な力を持つとした。
これは、昔からある「神は海で、人間は海の一滴の水」というたとえに近いと思う。ルドルフ・シュタイナーやジョージ・アダムスキーは、このたとえを採用して語ったが、これもまたぴったりこないのだ。
そこで私は、神は宇宙全体をハードウェアとする万能プログラムであるとする。
そして、人間の脳の中に、神の能力である、その万能プログラムのコピーがあるのである。
宇宙の構造と人間の脳の構造がそっくりであるのも、共に、神の万能プログラムを動かすハードウェアであるからだ。
大きさが違う分、神と人間の力の差はあるが、それでも人間の脳で動くものも万能プログラムであり、規模に限界はあるのかもしれないが不可能はない。
ところで、神の万能プログラムは、ある時期に人間の脳にインストールされた。
人間の脳は30万年前も今と同じなのに、人間が知的になったのは2万年前で、その2万年前に人間の脳に神の万能プログラムがインストールされたのだろう。
神の万能プログラムの考え方は、根本的には中山正和さんの考え方と同じなので、この神の万能プログラムを、中山さん式に「X(エックス)」と呼ぶ。
Xは最初、本能とのせめぎ合いで力を発揮しなかったが、理性が発達して本能を抑えることで、徐々にXは力を発揮し出した。
太古の昔の人間は、Xをかなり自由に使える神のような存在で、今から考えれば奇跡のようなことを平気で行えた。
しかし、自我の肥大で、人間はどんどんXを使えないようになり、現代もその状態である。
フロイトは、人間は本能が壊れているから、本能の代替として自我を作ったというが、むしろ、グロデックの言うエス(イド)の考え方がまともであるが、今回は省く。
それで、現代人がXを自由に使うためには、自我を消せば良く、それは、思考を消すことと同じだ。
自我が消えた状態とは、呼吸が消えた状態であるが、それでは人間は生きていられない。だが、呼吸が静かであるほどXを使うことが出来る。
普通に考えても、ぜーぜーはーはーとした呼吸の状態では人間の能力は低下している。
神がかった能力を発揮する時、人間の呼吸は静かである。
言ってみれば、呼吸の数が少ないほどXの力は多く発現する。
岡田虎二郎や政木和三は、腹式呼吸の訓練で1分で1回の呼吸が出来るようになって奇跡も起こせるほどになったが、このように、訓練で呼吸数を減らすというのも、1つの手であると思う。
中谷正和さんは、般若心経を唱えることを薦めていた。般若心経を唱えている間、呼吸が長くなるからだ。
ただ、私は、子供の時から、訓練なしで呼吸を消してしまうことが出来た。これは、何か興味のあることに強く集中することで起こる。
吸数を減らす方法は、今でもある程度のものはあるが、今も研究中である。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)洞察力(中山正和)
(2)運のいい人、悪い人(中山正和)
(3)生命と宇宙(関英男)

AIアート1540
「反射光」
Kay
潜在意識はあくまで、意識が出来ない深い心の領域を指すのであり、願望を叶える力がそこにあるとは思えない。
「潜在意識の法則」では、「潜在意識=神」となるが、それは不自然と思えるのだ。
関英男博士の考え方では、宇宙のどこかに巨大な万能コンピューターがあり、人間の脳は、そこにアクセス可能な端末コンピューターだ。
端末コンピューターは性能が低いので、願望を叶えるといった力は弱い、あるいは、ない。
そこで、端末コンピューターは、巨大万能コンピューターにアクセスして願望を託すことで願いが叶う。
これは、たとえとしては悪くないが、まだしっくりこない。
そこで、中山正和さんは、脳の中に、神か仏の欠片のようなものがあり、それが強力な力を持つとした。
これは、昔からある「神は海で、人間は海の一滴の水」というたとえに近いと思う。ルドルフ・シュタイナーやジョージ・アダムスキーは、このたとえを採用して語ったが、これもまたぴったりこないのだ。
そこで私は、神は宇宙全体をハードウェアとする万能プログラムであるとする。
そして、人間の脳の中に、神の能力である、その万能プログラムのコピーがあるのである。
宇宙の構造と人間の脳の構造がそっくりであるのも、共に、神の万能プログラムを動かすハードウェアであるからだ。
大きさが違う分、神と人間の力の差はあるが、それでも人間の脳で動くものも万能プログラムであり、規模に限界はあるのかもしれないが不可能はない。
ところで、神の万能プログラムは、ある時期に人間の脳にインストールされた。
人間の脳は30万年前も今と同じなのに、人間が知的になったのは2万年前で、その2万年前に人間の脳に神の万能プログラムがインストールされたのだろう。
神の万能プログラムの考え方は、根本的には中山正和さんの考え方と同じなので、この神の万能プログラムを、中山さん式に「X(エックス)」と呼ぶ。
Xは最初、本能とのせめぎ合いで力を発揮しなかったが、理性が発達して本能を抑えることで、徐々にXは力を発揮し出した。
太古の昔の人間は、Xをかなり自由に使える神のような存在で、今から考えれば奇跡のようなことを平気で行えた。
しかし、自我の肥大で、人間はどんどんXを使えないようになり、現代もその状態である。
フロイトは、人間は本能が壊れているから、本能の代替として自我を作ったというが、むしろ、グロデックの言うエス(イド)の考え方がまともであるが、今回は省く。
それで、現代人がXを自由に使うためには、自我を消せば良く、それは、思考を消すことと同じだ。
自我が消えた状態とは、呼吸が消えた状態であるが、それでは人間は生きていられない。だが、呼吸が静かであるほどXを使うことが出来る。
普通に考えても、ぜーぜーはーはーとした呼吸の状態では人間の能力は低下している。
神がかった能力を発揮する時、人間の呼吸は静かである。
言ってみれば、呼吸の数が少ないほどXの力は多く発現する。
岡田虎二郎や政木和三は、腹式呼吸の訓練で1分で1回の呼吸が出来るようになって奇跡も起こせるほどになったが、このように、訓練で呼吸数を減らすというのも、1つの手であると思う。
中谷正和さんは、般若心経を唱えることを薦めていた。般若心経を唱えている間、呼吸が長くなるからだ。
ただ、私は、子供の時から、訓練なしで呼吸を消してしまうことが出来た。これは、何か興味のあることに強く集中することで起こる。
吸数を減らす方法は、今でもある程度のものはあるが、今も研究中である。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)洞察力(中山正和)
(2)運のいい人、悪い人(中山正和)
(3)生命と宇宙(関英男)

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何度か経験がありますが、時間があっという間に過ぎていてびっくり(・・;)
振り返ってみるとその間確かに呼吸は静かで長くゆっくりでした。どこがでダイエットにもいいと活字で見たことがあります。
呼吸………恐るべし💧