『荘子』の中に、こんな印象的な会話がある。
ただそれは、人間同士の会話ではなく、影と薄影(影の周辺に出来る薄い影)の会話だ。
薄影は影に、
「お前は何でそんなにデタラメな動きをするんだ?お前に合わせる私は大変だ」
と文句を言うと、影は、
「俺は主人である人間の動く通りに動いているだけだ。だが、俺の主人だって同じかもしれない」
と言った。
つまり、我々人間は何者かに動かされている、あるいは、操られている。
操っているのは、霊かもしれないし、『超生命ヴァイトン』(1939)というSFにあるような、見えない生命体ヴァイトンのようなものかもしれない。あるいは、『エイリアン・インタビュー』にあるように、宇宙人に遠隔操作されているのかもしれない。

たとえが古くて申し訳ないが、我々は鉄人28号やジャイアントロボのように(原作者は共に横山光輝)、阿呆な少年に操られているロボットだ。
それで、操られた結果、奴隷になり下がり不幸になっている。
操り主は我々を思考を通して操る。
我々は自分で考えていると勘違いしているが、操り主に思考をコントロールされていて、操り主が決めた通りに考えているだけだ。
では、何で操り主達は我々を操るのかと言うと、我々を鉄人やジャイアントロボのように道具として使っていると言うよりは、単なる遊びであるのかもしれない。
つまり、我々はオモチャである。
『鉄人28号』の主題歌の中に「いいも悪いもリモコン次第」とあったり、『鉄腕アトム』の『ロボット・マーチ』に「こわれるまでの命」とあるのが、まさに我々のことだ。

だが、操り主は知っているのだ。
本当は、我々が、彼らと同等の存在であり、内に全知全能の力を秘めていることを。
戦争で勝った方が、負けた方の人間の脳に支配装置をつけて好きなように動かして遊んでいるだけかもしれない。
だが、当然ながら、本来は、負けた方も、勝った方と同じ存在なのだ。
そして、これは実際に行われていることで、我々日本人も、戦後、アメリカに同じようにされたのだ。
しかし、そのアメリカ人も、もっと上の存在(宇宙人か地底人か知らないが)に操られているのだろう。

コントロールを脱すれば、我々は本来、全知全能である。
ここらは、話が歪められているかもしれないが、『エイリアン・インタビュー』の内容に近いのだと思われる。
コントロールを脱する方法はただ1つ。
思考を止めることだ。
頭の中のおしゃべりをやめ、余計なことを考えないことだ。
なるべく想念を起こさないようにし、起こってもそれに構わず、ただ流すことだ。
そうすれば、我々は全知全能で、我々の知る概念で最も近いもので言えば神のようになる。

以上、私もコントロールを交わしながら書いたが、まだ、コントロールの邪魔が入っているので正確でないところはある。
しかし、それは各自思考を止めれば分かることである。
思考を止めれば、すぐに何かが起こるので分かると思うが、敵さんも、我々が気付かないよう圧力をかけてくるので、油断なく思考を止めなければならない。

世の中では、思考停止を悪いことのように言う。
しかし、悪いのは、思考を止めることではなく、悪い思考を放置することだ。
馬鹿とは、何も考えない者ではなく、馬鹿なことを考える者だ。
何も考えない者は天才である。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)新釈 荘子 (PHP文庫)
(2)エイリアン・インタビュー(ローレンス・スペンサー)
(3)超生命ヴァイトン(エリック・フランク・ラッセル)
(4)おろち(2)(楳図かずお)
(5)動物化するポストモダン(東浩紀)

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