昨日、久々に「無になれば(思考を消せば)全て可能になる」ことを意識し、思考を消してみた。
だが、我々は妄想が好きである。
一切妄想しないようにするのは、なかなか辛いことだろう。
外の世界では、いろいろなことが起こるが、それは勝手に起こっていて、自分でコントロール出来ない。
そして、心の中でもいろいろな考えが浮かぶが、これも、外の世界同様、勝手に起こる。
いや、自分で考えていると思うだろうが、そうではないことは科学的にも分かってきている。
いつ、どんな思考が起こるのかは分からない。
つまり、我々は、操り人形やプログラムされたロボットのようなものだ・・・というのが本当のようだ。
ところで、子供の時の空想は、今の妄想とは違う楽しさがあった。
今の妄想は、美味しいものを食べたり、偉くなって威張ったり、エロいことを考えたりといった浅ましいものばかりだ。
だが、子供の時の空想はウミガメになって大海を泳いだり、宇宙船に乗って宇宙を飛んだりと、単に面白いことで、実利とか現実的な満足を求めていない。
もちろん、今の妄想も、子供の時の空想も、自動で起こるのだが、今の妄想は自分がぴったりと一体化しているのに対し、子供の時の空想は、空想を見ていると言うか、どこか他人事みたいなところがある。
それでどうなるかと言うと、今の妄想は我々をコントロールするが、子供は空想にコントロールされない。
子供は空想をただ見ているだけだ。
妄想にコントロールされると、どんどん老化していく。生命力を消費させられるからだ。
ただ、今は、学校を始め、あらゆる場面で子供も妄想させられるようになり、老けた子供が多くなってしまった。
妄想という自動思考にコントロールされないよう、子供のような第三者視点を持つために、今を意識するメソッドを勧める者がいる。
しかし、うまくいく人は少ない。
今を意識するとか、呼吸に集中するといったことも、自動思考の一種かもしれない。
それなら、シンプルに頭の中のおしゃべりを止(や)めようとしたら、それも自動思考だと言われるだろうが、これは違った。なぜなら、あまりうまくいかないからだ。
どういうことか?
今を意識するとか、呼吸に集中するとかは、少しの間はやれる。
しかし、頭の中のおしゃべりを止めることは、なかなか難しく、数秒も出来ないかもしれない。
つまり、呼吸に集中するとかはいいが、頭の中のおしゃべりを止めることは、何者かにとってとても都合の悪いことらしい。
『超生命ヴァイトン』(1939)というSF小説で、我々を飼っているヴァイトンという生命体が、我々の脳を支配している様子が描かれているが、そういった何かがあるのだろう。
おそらく、子供の時はヴァイトンから自由で、まだ神のような創造力を持っていたのだろう。
そんなわけで、ヴァイトンの支配を脱するために、頭の中のおしゃべりを止めよう。
結果、引き寄せも自在になると思われる。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)超生命ヴァイトン(エリック・フランク・ラッセル)
(2)タフティ・ザ・プリーステス(ヴァジム・ゼランド)
(3)おろち(2)(楳図かずお)
(4)新釈 荘子 (PHP文庫)

AIアート1490
「のどかな場所」
Kay
だが、我々は妄想が好きである。
一切妄想しないようにするのは、なかなか辛いことだろう。
外の世界では、いろいろなことが起こるが、それは勝手に起こっていて、自分でコントロール出来ない。
そして、心の中でもいろいろな考えが浮かぶが、これも、外の世界同様、勝手に起こる。
いや、自分で考えていると思うだろうが、そうではないことは科学的にも分かってきている。
いつ、どんな思考が起こるのかは分からない。
つまり、我々は、操り人形やプログラムされたロボットのようなものだ・・・というのが本当のようだ。
ところで、子供の時の空想は、今の妄想とは違う楽しさがあった。
今の妄想は、美味しいものを食べたり、偉くなって威張ったり、エロいことを考えたりといった浅ましいものばかりだ。
だが、子供の時の空想はウミガメになって大海を泳いだり、宇宙船に乗って宇宙を飛んだりと、単に面白いことで、実利とか現実的な満足を求めていない。
もちろん、今の妄想も、子供の時の空想も、自動で起こるのだが、今の妄想は自分がぴったりと一体化しているのに対し、子供の時の空想は、空想を見ていると言うか、どこか他人事みたいなところがある。
それでどうなるかと言うと、今の妄想は我々をコントロールするが、子供は空想にコントロールされない。
子供は空想をただ見ているだけだ。
妄想にコントロールされると、どんどん老化していく。生命力を消費させられるからだ。
ただ、今は、学校を始め、あらゆる場面で子供も妄想させられるようになり、老けた子供が多くなってしまった。
妄想という自動思考にコントロールされないよう、子供のような第三者視点を持つために、今を意識するメソッドを勧める者がいる。
しかし、うまくいく人は少ない。
今を意識するとか、呼吸に集中するといったことも、自動思考の一種かもしれない。
それなら、シンプルに頭の中のおしゃべりを止(や)めようとしたら、それも自動思考だと言われるだろうが、これは違った。なぜなら、あまりうまくいかないからだ。
どういうことか?
今を意識するとか、呼吸に集中するとかは、少しの間はやれる。
しかし、頭の中のおしゃべりを止めることは、なかなか難しく、数秒も出来ないかもしれない。
つまり、呼吸に集中するとかはいいが、頭の中のおしゃべりを止めることは、何者かにとってとても都合の悪いことらしい。
『超生命ヴァイトン』(1939)というSF小説で、我々を飼っているヴァイトンという生命体が、我々の脳を支配している様子が描かれているが、そういった何かがあるのだろう。
おそらく、子供の時はヴァイトンから自由で、まだ神のような創造力を持っていたのだろう。
そんなわけで、ヴァイトンの支配を脱するために、頭の中のおしゃべりを止めよう。
結果、引き寄せも自在になると思われる。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)超生命ヴァイトン(エリック・フランク・ラッセル)
(2)タフティ・ザ・プリーステス(ヴァジム・ゼランド)
(3)おろち(2)(楳図かずお)
(4)新釈 荘子 (PHP文庫)

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