毎日の食事が出来ることが当たり前だと思っている子供達に対し「三度の食事が出来ることを当たり前に思ってはならない」「三度の食事が出来ることに感謝しなさい」と言う人がいる。
だが、ラルフ・ウォルドー・エマソンは、経済的な不安を全く持っていない子供達は強く自信があって、大人より正しいと言う。
また、エマソンは、やはり経済的不安のない封建領主も同様なのだと言う。
誰も、封建領主に対し、「君が裕福な暮らしが出来るのは、領民達がしっかり働いているからだ。領民達に感謝しろ」とは言わない。

裕福な家の子供や封建領主にとって、生活の心配がないのが当たり前であり、当たり前だから自信があり、自信があるから強く正しい。
こう言うと、「それでは感謝の気持ちがない」と文句を言いたい人もいるだろう。

天皇陛下が子供の時、ご両親である今の上皇上皇后両陛下は、子供達が、食事が魔法で出て来ると思わないよう配慮したという話がある。
しかし、それは、食事がどうやって出来るのかのプロセスを理解するということと思う。
つまり、食事が出来ることを、誰かに感謝しろというようなことではない。
封建領主だって、自分の生活がどうやって成り立っているかは理解していないと馬鹿領主であると言えるだろう。

引き寄せでは、「当たり前に感じることが実現する」ということが最重要であると思う。
確かに、今あるものに感謝するというのは良いことである。
しかし、それを露骨にわざとらしくやることを推奨する引き寄せの指導者が多い。
有名な引き寄せ書『ザ・シークレット』でも、全部ではないが、そんな記述があったと思う。
粗末な服でも、今着れる服があることに感謝し、ポンコツでも、乗れる車があることに感謝しろと言う。
しかし、引き寄せでは、着たい服、乗りたい車に乗っていることを当たり前に思った時に実現するのである。
別に、ボロボロの服を着ている者や、古い車に乗っている者を馬鹿にしていいとは言っていない。
また、今持っている服や車を大切にしなくていいとも言っていない。
だが、感謝の気持ちは自然に起こるものであり、無理にするものではない。
まして、今あるものに感謝したらもっと良いものを得られるからという下心に満ちた感謝のフリは卑しいものである。

引き寄せで大きな成果を上げるのは、どん底を味わった者だと言われる。
不満はあっても、そこそこうまくいっている人は、熱心にやらないからだ。
引き寄せとは、快楽に耽るためのものではなく、世間の馬鹿げた教義や信念から逃れ、社会の洗脳を壊し、自由で強い高い存在を目指すことであると思う。
今、それほど苦しい状態ではないと思っていても、実は世間の幻想に囚われ、奴隷状態である今は、やはりどん底状態であり、本当の自分になることを熱心にやらなくてはならないのではないだろうか。

我が国には、完全に正確な事実ではないかもしれないが、ある程度は確かな、こんな歴史がある。
江戸時代、重税を課せられた農民の不満を和らげるため、非人という、普通の農民以下の人々を定め、「お前達(農民)は、あの非人達よりずっとマシである。だから仕事に励み、年貢(税)を収めよ」と騙したらしい。
しかし、この農民が、今の日本の庶民のようである。
豊かで自由であることは当たり前である。この認識にシフトしなければ、引き寄せは出来ないだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(2)カムイ伝全集 第一部(1)(白土三平)
(3)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)
(4)イット・ワークス! (RHJ)
(5)タフティ・ザ・プリーステス(ヴァジム・ゼランド)

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