私は、マクドナルドもスターバックスも、生涯で1度ずつしか行ったことがないが、2度と行きたくない。
そもそも、私は、ああいったセルフサービスの店が駄目だ。
マクドやスタバ以外のセルフサービスの店も、数度しか行ったことがないし、好き好んで行くことはないだろう。
私は、そういった店の利用方法が全く分からず、スムーズに対応出来ないのだ。
皆、何で、あの利用方法が分かるのか、あるいは、憶えられるのかが私には分からない。
また、あんな店に馴染んでいるように見える人々が、自分と同じ人間には見えない。
今朝、マクドナルドに行った夢を見た。
友人夫婦と一緒だったのだが、奥さんがマクドに行こうと言うので、私は喜んで賛成し、楽しく店に入った。
しかし、やはり、どうやっていいのか分からない。
他の客がテキパキと慣れた動作で商品を受け取って席に着く中、私は、どのカウンターに行くかも決められない。
そもそも、何を注文していいのか見当もつかない。
私は、「急に気分が悪くなった。申し訳ない」と言い訳して、何も注文せず、友人の居るテーブルに座った。
それでも、飲食せずに場所を取る後ろめたさに、やはり何か注文しようとカウンターに行くと、カウンターの女性に「コーラでもどうですか」と言われて、ああそれだと安心する。
だが、そのカウンターの女性は、一緒に来た友人の奥さんだったが、それに気付かない。私は、彼女の顔を憶えていないのだ。一緒に来たのにであるが、それには別に驚かなかった。私は、人の顔を憶えるのが苦手・・・と言うより、全く出来ない。
政木和三さんもそうだと言われていた。彼は、数年住んでいたアパートの隣の人の顔を全く憶えなかったらしい(普段、挨拶はしていた)。
要は、普通の人間を同族と感じないのだと思う。
セルフサービスは、効率のための方式・・・つまり、利益を高めるために作られたものだ。
それによって値段も安く出来るのだから、良い面もあるが、客をモノ扱いする非人間的な方式であると私は思う。
そして、学校も、病院も、あらゆる公共施設も、そんな形になっているし、ますますなっていく。
私は、郵便局で切手1枚買う時、番号札を出す機械から番号札を得て待ち、「706番の方、カウンターへ」と言われて、カウンターで切手が欲しいと言ったら、カウンターの人が「それなら番号札を取っていただかなくてもよかったのに」と言われてショックを受けた。どんな場合に番号札を取り、どんな場合に取らなくていいのかといったことを憶えられるはずがない。郵便局なんて、年に1度行くか行かないかなのに。
税務署で番号札を出して待っていたら、「202番の方、〇〇カウンターへどうぞ」と放送があったが、その〇〇カウンターが何を意味するのか分からない。また、その後の流れも、全く意味不明で、ひどく疲れた。
ある書類を受け取るためにハローワークに行った時(何でハローワークなのかと思ったが)、いったいどこに行けばいいか分からないし、聞けるような人もいない。なんで皆、利用法が分かるのかと驚く。目的の場所が分かっても、どうやっていいか分からない。
マクドナルドの始まりを描いた『ファウンダー』という映画がある。
中年過ぎの冴えないセールスマンが人生を大逆転する感動的な映画なのだと思う。
その映画の中で、マクドナルドが、徹底した合理思想で細かく計算をして、客をどう流していけば利益が最大になるかを追求したことが分かった。それが、お客さんを待たせない優れたサービスだと主張しているようだが、私には、やはり、人間をモノ扱いした非人間的なシステムとしか思えない。
アイフォンもアンドロイドもだが、そもそもアップルのパソコンは、元々マクドナルド的だったと思う。
ユーザーが何をするかは、アップルのパソコンやアイフォンが決め、ユーザーはその通りにやらないといけない。
そして、アンドロイドやWindows等、マイクロソフトのサービスも、今や全くそんな感じだ。
今後、ますます、人間は、システムで決められた通りに動き、考えないといけないようになるだろう。
その伏線はテレビで、皆が同じ番組を見て、皆が同じように反応し、皆が同じように考えるよう教育・訓練されたのだ。
そんな教育や訓練を拒否した者は、学校や会社や、その他の社会のシステムから弾かれ、生き難くなる。
それは、もう何十年も前からだが、今後は、ますますそうなるだろう。
だが、そんな社会システムの中で悠然と過ごすのが、『ヒューマノイド』(1947)というジャック・ウィリアムスンのSF小説に登場するアイアンスミスという青年だ。
昨日までホウキが仕事道具という雑用係だったコンピューター技術者だ。
本物の知性と生命力を持った者は誰にも支配されない。
私に不可能はない。
世界は私のものだ。私の王国だ。
何ものも私を恐れさせることはない。
何ものも私を止めることはできない。
私が人に何かをお願いすることはない。
単に要求するだけだ。
私は支配者であり、ひざまずくことはない。
私の要求は絶対だ。
私の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。
私は山のように高く、大河のように豊かである。
そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。
『人生を変える魔法の物語』より
原題:The Magic Story
フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ著
高橋璃子(たかはしりこ)訳
※現在、購入不能
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒューマノイド(ジャック・ウィリアムスン)
(2)奇跡を起こす『魔法の物語』(フレデリック・ヴァン レンスラー・ダイ)
(3)ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(字幕版) ※Amazon Video(有償)

AIアート1486
「毎日の待ち合わせ」
Kay
そもそも、私は、ああいったセルフサービスの店が駄目だ。
マクドやスタバ以外のセルフサービスの店も、数度しか行ったことがないし、好き好んで行くことはないだろう。
私は、そういった店の利用方法が全く分からず、スムーズに対応出来ないのだ。
皆、何で、あの利用方法が分かるのか、あるいは、憶えられるのかが私には分からない。
また、あんな店に馴染んでいるように見える人々が、自分と同じ人間には見えない。
今朝、マクドナルドに行った夢を見た。
友人夫婦と一緒だったのだが、奥さんがマクドに行こうと言うので、私は喜んで賛成し、楽しく店に入った。
しかし、やはり、どうやっていいのか分からない。
他の客がテキパキと慣れた動作で商品を受け取って席に着く中、私は、どのカウンターに行くかも決められない。
そもそも、何を注文していいのか見当もつかない。
私は、「急に気分が悪くなった。申し訳ない」と言い訳して、何も注文せず、友人の居るテーブルに座った。
それでも、飲食せずに場所を取る後ろめたさに、やはり何か注文しようとカウンターに行くと、カウンターの女性に「コーラでもどうですか」と言われて、ああそれだと安心する。
だが、そのカウンターの女性は、一緒に来た友人の奥さんだったが、それに気付かない。私は、彼女の顔を憶えていないのだ。一緒に来たのにであるが、それには別に驚かなかった。私は、人の顔を憶えるのが苦手・・・と言うより、全く出来ない。
政木和三さんもそうだと言われていた。彼は、数年住んでいたアパートの隣の人の顔を全く憶えなかったらしい(普段、挨拶はしていた)。
要は、普通の人間を同族と感じないのだと思う。
セルフサービスは、効率のための方式・・・つまり、利益を高めるために作られたものだ。
それによって値段も安く出来るのだから、良い面もあるが、客をモノ扱いする非人間的な方式であると私は思う。
そして、学校も、病院も、あらゆる公共施設も、そんな形になっているし、ますますなっていく。
私は、郵便局で切手1枚買う時、番号札を出す機械から番号札を得て待ち、「706番の方、カウンターへ」と言われて、カウンターで切手が欲しいと言ったら、カウンターの人が「それなら番号札を取っていただかなくてもよかったのに」と言われてショックを受けた。どんな場合に番号札を取り、どんな場合に取らなくていいのかといったことを憶えられるはずがない。郵便局なんて、年に1度行くか行かないかなのに。
税務署で番号札を出して待っていたら、「202番の方、〇〇カウンターへどうぞ」と放送があったが、その〇〇カウンターが何を意味するのか分からない。また、その後の流れも、全く意味不明で、ひどく疲れた。
ある書類を受け取るためにハローワークに行った時(何でハローワークなのかと思ったが)、いったいどこに行けばいいか分からないし、聞けるような人もいない。なんで皆、利用法が分かるのかと驚く。目的の場所が分かっても、どうやっていいか分からない。
マクドナルドの始まりを描いた『ファウンダー』という映画がある。
中年過ぎの冴えないセールスマンが人生を大逆転する感動的な映画なのだと思う。
その映画の中で、マクドナルドが、徹底した合理思想で細かく計算をして、客をどう流していけば利益が最大になるかを追求したことが分かった。それが、お客さんを待たせない優れたサービスだと主張しているようだが、私には、やはり、人間をモノ扱いした非人間的なシステムとしか思えない。
アイフォンもアンドロイドもだが、そもそもアップルのパソコンは、元々マクドナルド的だったと思う。
ユーザーが何をするかは、アップルのパソコンやアイフォンが決め、ユーザーはその通りにやらないといけない。
そして、アンドロイドやWindows等、マイクロソフトのサービスも、今や全くそんな感じだ。
今後、ますます、人間は、システムで決められた通りに動き、考えないといけないようになるだろう。
その伏線はテレビで、皆が同じ番組を見て、皆が同じように反応し、皆が同じように考えるよう教育・訓練されたのだ。
そんな教育や訓練を拒否した者は、学校や会社や、その他の社会のシステムから弾かれ、生き難くなる。
それは、もう何十年も前からだが、今後は、ますますそうなるだろう。
だが、そんな社会システムの中で悠然と過ごすのが、『ヒューマノイド』(1947)というジャック・ウィリアムスンのSF小説に登場するアイアンスミスという青年だ。
昨日までホウキが仕事道具という雑用係だったコンピューター技術者だ。
本物の知性と生命力を持った者は誰にも支配されない。
私に不可能はない。
世界は私のものだ。私の王国だ。
何ものも私を恐れさせることはない。
何ものも私を止めることはできない。
私が人に何かをお願いすることはない。
単に要求するだけだ。
私は支配者であり、ひざまずくことはない。
私の要求は絶対だ。
私の態度を前にして、敵対者は逃げだしていく。
私は山のように高く、大河のように豊かである。
そして平原をゆくように、何の困難もなく進んでいくのだ。
『人生を変える魔法の物語』より
原題:The Magic Story
フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ著
高橋璃子(たかはしりこ)訳
※現在、購入不能
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ヒューマノイド(ジャック・ウィリアムスン)
(2)奇跡を起こす『魔法の物語』(フレデリック・ヴァン レンスラー・ダイ)
(3)ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(字幕版) ※Amazon Video(有償)

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