日本には言霊(ことだま)信仰というものがある。
言霊信仰とは、簡単に言えば、「言った言葉が実現する」というものだ。
だから、起こって欲しくないことを言うと、
「縁起でもないことを言うな」
と怒られる。
たとえば「うちの会社の売り上げが下がる」「あなた、彼と別れることになるわ」「そんなにクヨクヨしてたら病気になるよ」と、つい言ったら非難されかねない。
あるいは、悪いことを言い、それが実現すると、「あんなことを言うから、それが本当になったんだ」と言われることも珍しくはない。
旅客機が飛行中に行方不明になった時、「絶望的だな」と言うと、「ロクでもないことを言うな」と怒られ、その後、生存者がいないことが分かると、「お前があんなことを言うからだ」と理不尽なことを言われたりする。
そういった非難は論理的ではないことは分かっているのに、そんな非難が結構まかり通るのである。
こういったことは、別に日本だけでなく、大なり小なりどこの国でもあると思うが、言葉に深い意味を込める日本では、言霊という考え方が生まれ、そんな傾向が強いのだろう。
ところで、仏教では「身口意」の三業と言って、「身=行為」「口=言葉」「意=心」で、言葉だけでなく、行為や心で行うことも、現実に影響を与え、仏教以前のヒンズー教では、「人が言ったこと、想ったこと、行ったことは、宇宙全体に影響を与える」と言われるらしい。
日本では、「身口意」の「口」が強調されるようになったと思われる。
アメリカでは、「身」が重視され、行動主義であるが、昔は「人を指差すな」と子供に教えたらしい。これは、指を差すことが、ピストルを連想させ、人を指差したら「お前を撃つぞ」「お前は撃たれるぞ」という意味に取られるかもしれないからだと思う。
最後の1つの「意」は、心で思うことが実現するという意味で、「人を呪わば穴二つ」と言うように、心で呪っても世界に影響があるし、良い思いの方も「うまくいくよう祈っていたわ」と言うように、心で思うことに効果があることが何となくでも信じられている。
こういった考え方が人々の心に根付いているのは、ただの迷信とか思い過ごしから来たのかもしれないし、経験の積み重ねから来ている信憑性のあることなのかもしれない。
アメリカあたりせは、こういったことは統計でカタをつけたがるが、実際に、類似のことで大規模な統計調査が行われたこともあるが、身口意が超常的な意味で現実に影響を与えるかについては、おそらく否定的な結果が出る(出ている)だろうし、相関が見られた・・・つまり、実際に影響があるという結果が出ても、それは、神秘的、引き寄せ的な意味ではなく、合理的に説明出来るという結論を出したがるものだ。
新約聖書の「ヨハネの福音書」の「はじめに言葉があった」というのは誤訳の可能性があるが、旧約聖書の初めで、神が「光あれ」と言ったことで昼が生まれ、その他、あらゆることが神の言葉で生まれたことから、キリスト教やユダヤ教、イスラム教では、言葉の力は、なんとなくあると思われているように思う。
現在とは異次元のレベルで進歩した科学は、言葉や想いや行為が現実に直接に影響を与えることを解明するかもしれないし、現在の科学も、それに近付きつつあるように思われる。たとえば、人間の意思が電子などの素粒子とコミュニケーションしているかもしれないと考える科学者もいる。
いずれ、子供の間で流行っていた、願いが実現する呪文(言葉)、まじない(行為)、イメージ(心)が、実は大変な効果があると分かるかもしれないが、子供の時、「ヤバ!これマジで効く」と思った記憶が残っている人もいると思う。
何度か書いたが、私の場合、統計などでは決して否定出来ない奇跡をいくらでも起こしているので、身口意なんてミサイルどころではない威力があると分かるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(2)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根卓郎)
(3)トーチェ氏の心の法則(ジョエル・マリー・トーチェ、チャンピオン・K・トーチェ)
(4)空海入門(ひろさちや)
(5)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(6)神道の神秘(山蔭基央)

AIアート1476
「木漏れ日の幻」
Kay
言霊信仰とは、簡単に言えば、「言った言葉が実現する」というものだ。
だから、起こって欲しくないことを言うと、
「縁起でもないことを言うな」
と怒られる。
たとえば「うちの会社の売り上げが下がる」「あなた、彼と別れることになるわ」「そんなにクヨクヨしてたら病気になるよ」と、つい言ったら非難されかねない。
あるいは、悪いことを言い、それが実現すると、「あんなことを言うから、それが本当になったんだ」と言われることも珍しくはない。
旅客機が飛行中に行方不明になった時、「絶望的だな」と言うと、「ロクでもないことを言うな」と怒られ、その後、生存者がいないことが分かると、「お前があんなことを言うからだ」と理不尽なことを言われたりする。
そういった非難は論理的ではないことは分かっているのに、そんな非難が結構まかり通るのである。
こういったことは、別に日本だけでなく、大なり小なりどこの国でもあると思うが、言葉に深い意味を込める日本では、言霊という考え方が生まれ、そんな傾向が強いのだろう。
ところで、仏教では「身口意」の三業と言って、「身=行為」「口=言葉」「意=心」で、言葉だけでなく、行為や心で行うことも、現実に影響を与え、仏教以前のヒンズー教では、「人が言ったこと、想ったこと、行ったことは、宇宙全体に影響を与える」と言われるらしい。
日本では、「身口意」の「口」が強調されるようになったと思われる。
アメリカでは、「身」が重視され、行動主義であるが、昔は「人を指差すな」と子供に教えたらしい。これは、指を差すことが、ピストルを連想させ、人を指差したら「お前を撃つぞ」「お前は撃たれるぞ」という意味に取られるかもしれないからだと思う。
最後の1つの「意」は、心で思うことが実現するという意味で、「人を呪わば穴二つ」と言うように、心で呪っても世界に影響があるし、良い思いの方も「うまくいくよう祈っていたわ」と言うように、心で思うことに効果があることが何となくでも信じられている。
こういった考え方が人々の心に根付いているのは、ただの迷信とか思い過ごしから来たのかもしれないし、経験の積み重ねから来ている信憑性のあることなのかもしれない。
アメリカあたりせは、こういったことは統計でカタをつけたがるが、実際に、類似のことで大規模な統計調査が行われたこともあるが、身口意が超常的な意味で現実に影響を与えるかについては、おそらく否定的な結果が出る(出ている)だろうし、相関が見られた・・・つまり、実際に影響があるという結果が出ても、それは、神秘的、引き寄せ的な意味ではなく、合理的に説明出来るという結論を出したがるものだ。
新約聖書の「ヨハネの福音書」の「はじめに言葉があった」というのは誤訳の可能性があるが、旧約聖書の初めで、神が「光あれ」と言ったことで昼が生まれ、その他、あらゆることが神の言葉で生まれたことから、キリスト教やユダヤ教、イスラム教では、言葉の力は、なんとなくあると思われているように思う。
現在とは異次元のレベルで進歩した科学は、言葉や想いや行為が現実に直接に影響を与えることを解明するかもしれないし、現在の科学も、それに近付きつつあるように思われる。たとえば、人間の意思が電子などの素粒子とコミュニケーションしているかもしれないと考える科学者もいる。
いずれ、子供の間で流行っていた、願いが実現する呪文(言葉)、まじない(行為)、イメージ(心)が、実は大変な効果があると分かるかもしれないが、子供の時、「ヤバ!これマジで効く」と思った記憶が残っている人もいると思う。
何度か書いたが、私の場合、統計などでは決して否定出来ない奇跡をいくらでも起こしているので、身口意なんてミサイルどころではない威力があると分かるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(2)量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」(岸根卓郎)
(3)トーチェ氏の心の法則(ジョエル・マリー・トーチェ、チャンピオン・K・トーチェ)
(4)空海入門(ひろさちや)
(5)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(6)神道の神秘(山蔭基央)

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