引き寄せというのは、確率の操作だ。
私が小学生の時、ある天才的に頭が良い子が、一見子供っぽい馬鹿なことを言ったことを憶えている。
校庭に、何かの動物の骨があったのだが、その子は、それが恐竜の骨かもしれないと言う。
それを笑う子達に、その子は、
「確率は、恐竜の骨か、そうでないかの1/2だ」
と言い、他の子達は妙に納得したが、もちろん、論理的に考えるとそうではなく、確率は極めて低いだろう。
だが、確率と言うのではないが、0か1で処理するコンピューターでは、「恐竜の骨である」を1とし、「恐竜の骨ではない」を0とすれば、その意味で「2つに1つ」となる。
そして、引き寄せというのは、決して起こり得ないような1の確率を1/2と考え、さらに、1/2(50%)から1(100%)まで高めることである。
そして、量子コンピューターでは、0であり同時に1であるという扱いをし、引き寄せも同じである。
つまり、その骨は、恐竜の骨であり、同時に、恐竜の骨ではない。
それを、何かの力で恐竜の骨の方に持っていくのである。
普通のコンピューター的には、高根の花のあの子が自分の彼女になる可能性を、自分の彼女であるか、そうでないかで分け、それを1/2と考える。
量子コンピューター的には、彼女は、自分の彼女であると同時でそうではないと考える。
では、どうやれば、確率を1/2以上に上げたり、自分の彼女であると確定出来るのだろう?
1994年から1995に放送されたアニメ『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』の中で、原作にはないが、こんな話があった。
世界の運命が、土萠ほたる(ともえほたる)という少女の選択にかかっていた。
ほたるは、原作によれば小学6年生で11歳の超美少女である。
トランプのババ抜きをしていて、敵が差し出した2枚のカードの1枚がジョーカーで、ほたるがジョーカー以外を引けば、6人のセーラ戦士は助かり、ジョーカーを引けば彼女達は死ぬ。彼女達が死ねことは、ほぼ地球の最後と同じである。
これは純粋に、確率的に勝率は1/2である。
しかし、ジョーカーを引くか、ジョーカー以外を引くかは、引くまで分からない。量子力学的に、両方は同時に存在している。
敵は、素直な性格のほたるを誘導し、ジョーカーを引かせるのは簡単だと思っていた。
それに、大ギャンブラーは、破滅的な選択では、必ず、選択する方が間違うことを知っている。
ほたるに勝ち目はない。
つまり、引き寄せ不可の状態だ。
気が弱いほたるは、重圧に押しつぶされ怯えている。
だが、そこでセーラームーンが、
「どっちでもいいわ」
とほたるに言う。
この時の、セーラームーン役の声優、三石琴乃さんの声が素晴らしかった。
この「どっちでもいい」が、まさに、「どうでもいい」というふうに聞こえたのだ。
特別なマインドの持ち主であるセーラームーンの言葉で、ほたるの思考は消えたのだろう。
そして、ほたるは勝つ。
普通の人は、1億円がかかったギャンブルで自分が賭ければ、必ず負ける。
しかし、「どうでもいい」と思うことが出来れば勝負は逆転する。
引き寄せも、気楽になり、叶うかどうかを「どうでもいい」と本当に思えば叶うのである。
そんなことから、「ケ‐セラ‐セラ」(スペイン語で「なるようになるさ」の意味)という言葉が流行ったのだ。
それが、私がいつも言う究極の真言の人間版「私はなるようになるだろう」(神版が「私は常に生成する者である」)で、このように唱えれば、ほたるのように勝てるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)賭ける魂(植島啓司)
(2)偶然のチカラ (植島啓司)
(3)運は実力を超える(植島啓司)
(4)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(5)美少女戦士セーラームーンS (第3期) 全38話 [Blu-ray](輸入版)

AIアート1472
「気楽さ」
Kay
私が小学生の時、ある天才的に頭が良い子が、一見子供っぽい馬鹿なことを言ったことを憶えている。
校庭に、何かの動物の骨があったのだが、その子は、それが恐竜の骨かもしれないと言う。
それを笑う子達に、その子は、
「確率は、恐竜の骨か、そうでないかの1/2だ」
と言い、他の子達は妙に納得したが、もちろん、論理的に考えるとそうではなく、確率は極めて低いだろう。
だが、確率と言うのではないが、0か1で処理するコンピューターでは、「恐竜の骨である」を1とし、「恐竜の骨ではない」を0とすれば、その意味で「2つに1つ」となる。
そして、引き寄せというのは、決して起こり得ないような1の確率を1/2と考え、さらに、1/2(50%)から1(100%)まで高めることである。
そして、量子コンピューターでは、0であり同時に1であるという扱いをし、引き寄せも同じである。
つまり、その骨は、恐竜の骨であり、同時に、恐竜の骨ではない。
それを、何かの力で恐竜の骨の方に持っていくのである。
普通のコンピューター的には、高根の花のあの子が自分の彼女になる可能性を、自分の彼女であるか、そうでないかで分け、それを1/2と考える。
量子コンピューター的には、彼女は、自分の彼女であると同時でそうではないと考える。
では、どうやれば、確率を1/2以上に上げたり、自分の彼女であると確定出来るのだろう?
1994年から1995に放送されたアニメ『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』の中で、原作にはないが、こんな話があった。
世界の運命が、土萠ほたる(ともえほたる)という少女の選択にかかっていた。
ほたるは、原作によれば小学6年生で11歳の超美少女である。
トランプのババ抜きをしていて、敵が差し出した2枚のカードの1枚がジョーカーで、ほたるがジョーカー以外を引けば、6人のセーラ戦士は助かり、ジョーカーを引けば彼女達は死ぬ。彼女達が死ねことは、ほぼ地球の最後と同じである。
これは純粋に、確率的に勝率は1/2である。
しかし、ジョーカーを引くか、ジョーカー以外を引くかは、引くまで分からない。量子力学的に、両方は同時に存在している。
敵は、素直な性格のほたるを誘導し、ジョーカーを引かせるのは簡単だと思っていた。
それに、大ギャンブラーは、破滅的な選択では、必ず、選択する方が間違うことを知っている。
ほたるに勝ち目はない。
つまり、引き寄せ不可の状態だ。
気が弱いほたるは、重圧に押しつぶされ怯えている。
だが、そこでセーラームーンが、
「どっちでもいいわ」
とほたるに言う。
この時の、セーラームーン役の声優、三石琴乃さんの声が素晴らしかった。
この「どっちでもいい」が、まさに、「どうでもいい」というふうに聞こえたのだ。
特別なマインドの持ち主であるセーラームーンの言葉で、ほたるの思考は消えたのだろう。
そして、ほたるは勝つ。
普通の人は、1億円がかかったギャンブルで自分が賭ければ、必ず負ける。
しかし、「どうでもいい」と思うことが出来れば勝負は逆転する。
引き寄せも、気楽になり、叶うかどうかを「どうでもいい」と本当に思えば叶うのである。
そんなことから、「ケ‐セラ‐セラ」(スペイン語で「なるようになるさ」の意味)という言葉が流行ったのだ。
それが、私がいつも言う究極の真言の人間版「私はなるようになるだろう」(神版が「私は常に生成する者である」)で、このように唱えれば、ほたるのように勝てるのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)賭ける魂(植島啓司)
(2)偶然のチカラ (植島啓司)
(3)運は実力を超える(植島啓司)
(4)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(5)美少女戦士セーラームーンS (第3期) 全38話 [Blu-ray](輸入版)

AIアート1472
「気楽さ」
Kay
人気ランキング参加中です |
![]() ![]() |