私が高校生の時、福沢諭吉の有名な『学問のすすめ』を読んで、まず衝撃的だった言葉が「力役は易し」だった。
つまり、肉体労働は簡単で卑しい仕事だから、勉強することで、そんな仕事をしなくて良い人間になろうと説いているように思ったのだが、そう理解されても仕方がない文章だったように思う。
高校生だった私は、『学問のすすめ』や福沢諭吉について、「何たる浅はかな煽り。福沢諭吉というのはロクでもない人物」という観念を持ってしまい、以降、福沢諭吉について調べることがなく、こんな人物を一万円札に採用した日本の危うさを感じたものだった。
まあ、これが誤解だったかどうか、いまだ確認していない。
私は、中学・高校時代は、「学問は試験のためにやるものじゃない」「学問は金のためにやるものではない」という想いが強烈で、学問は純粋に、真の意味で賢くなるためにやるものだと思っており、試験の成績第一主義の学校や日本の教育に完全に背を向けてしまった。
よって、私は、高校受験も大学受験も真面目にやらなかった。
だから、ルネ・デカルトが「書物による学問を捨て、世間から学んだ」と言ったことに感激したものだった。
彼は、意外なことに、学校に行ったのは二十歳までで、それでも大学は出ているが、取った学位は法学士だった。
つまり、彼の業績として現在も高く評価されている数学、物理学、哲学は全て独学であった。
これは、ニュートン、アインシュタインも同じである。
英国の作家コリン・ウィルソンは、アインシュタインのような科学者になりたかったが、家が貧しくて高校に進学出来ず、肉体労働をしながら図書館で独学した。彼のことは、一般に、作家、評論家と紹介されるが、なぜ、思想家とか哲学者と紹介されないのか、私には不思議である。
哲学者、作家の東浩紀さんが、自分が哲学者と呼ばれるのは良いが、思想家とは思っていないと、何かで言うか書くかしていたと思うが、それは、学術的な取り決めとか因習のようなものからと思われ、私は、そんな学問の権威みたいなものは大嫌いで、そんなものにひれ伏す東浩紀さんは大したやつじゃないと勝手に思っている。
賢くなるためには、頭を鍛えなくてはならないが、頭を鍛える大切な期間を過ごす小中学校、あるいは、高校では、試験の採点の仕方を最優先とし、学問や教育がすっかり歪んでしまっている。私は、ひょっとしたら、これが有名な、「中国、ロシアによる、アメリカや日本の若者の頭脳を破壊するための策略」と思ったものだが、当たらずと言えども遠からずといったところだろう。
まあ、偏見かもしれないが、そんなことを感じていたので、私は学校の勉強は真面目にやらず、成績が悪かったこともあり、社会では不利な立場になってしまった。それがどういうわけか、そんなエリート教育に加担する企業に関わり、高学歴な人々を沢山見たが、やっぱりおかしな人が多かったと思う。
人間の生まれつきのIQは遺伝でほぼ決まるらしく、その遺伝率は、一般に遺伝的と思われている背の高さの遺伝率よりずっと大きいのだという。つまり、人間の頭のレベルは、生まれつき決まっているのかもしれない。
ただ、生まれつきの筋肉の強さがきまっているとしても、鍛えれば、かなり強くなるように、人間のIQも鍛えれば必ず伸びると思う。
いや、それどころか、人間の脳は驚異的なほど優秀で、誰でも相当な可能性を秘めていると思われる。
最終的には、デカルトが言うように、世間で学ぶのが良い。
しかし、デカルトは基礎的な学問はよく修めていた。
面白いのは、デカルトは、今で言う中学や高校あたりで、「この学問は良いが、この学問は懐疑的だ」と区別すると共に、「怪しげな学問も何等かの役には立った」と言ったことだ。
この怪しげな学問とは、占いや魔術の類であったが、デカルトは実際は大のオカルト好きだった。
ニュートンが、オカルト研究のついでに数学や物理学をやっていたのだということは知られているが、デカルトも、そんな傾向があったのだと思う。
オカルトも、学びようで頭が良くなるのだろう。
ニュートンのオカルトは、多くは聖書の研究だった。
イーロン・マスクなども、聖書はよく読み、評価していたと思う。
日本には、『カタカムナ』や『ホツマツタヱ』といった知恵の書もあるのだが、世間に出回っているものを見ると、まだまだ、あまり優秀でない人の個人的独断を含んだ怪しげなものが多く、学び難い。
いずれにしても、仏典や聖書などの聖典も、権威側に読まされる形で読むと、必ず歪んだ理解をする。
よって、あまり宗教には関わらない方が良いかもしれない。
私は、とりあえずは聖書は読んでいる。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)方法序説ほか (デカルト)
(2)プリンキピアを読む ~ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?~ (ブルーバックス)
(3)旧約聖書(新日本聖書刊行会)
(4)新約聖書(新日本聖書刊行会)
(5)バガヴァッド・ギーター(日本ヴェーダーンタ協会)
AIアート1412
「永遠の瞬間」
Kay
つまり、肉体労働は簡単で卑しい仕事だから、勉強することで、そんな仕事をしなくて良い人間になろうと説いているように思ったのだが、そう理解されても仕方がない文章だったように思う。
高校生だった私は、『学問のすすめ』や福沢諭吉について、「何たる浅はかな煽り。福沢諭吉というのはロクでもない人物」という観念を持ってしまい、以降、福沢諭吉について調べることがなく、こんな人物を一万円札に採用した日本の危うさを感じたものだった。
まあ、これが誤解だったかどうか、いまだ確認していない。
私は、中学・高校時代は、「学問は試験のためにやるものじゃない」「学問は金のためにやるものではない」という想いが強烈で、学問は純粋に、真の意味で賢くなるためにやるものだと思っており、試験の成績第一主義の学校や日本の教育に完全に背を向けてしまった。
よって、私は、高校受験も大学受験も真面目にやらなかった。
だから、ルネ・デカルトが「書物による学問を捨て、世間から学んだ」と言ったことに感激したものだった。
彼は、意外なことに、学校に行ったのは二十歳までで、それでも大学は出ているが、取った学位は法学士だった。
つまり、彼の業績として現在も高く評価されている数学、物理学、哲学は全て独学であった。
これは、ニュートン、アインシュタインも同じである。
英国の作家コリン・ウィルソンは、アインシュタインのような科学者になりたかったが、家が貧しくて高校に進学出来ず、肉体労働をしながら図書館で独学した。彼のことは、一般に、作家、評論家と紹介されるが、なぜ、思想家とか哲学者と紹介されないのか、私には不思議である。
哲学者、作家の東浩紀さんが、自分が哲学者と呼ばれるのは良いが、思想家とは思っていないと、何かで言うか書くかしていたと思うが、それは、学術的な取り決めとか因習のようなものからと思われ、私は、そんな学問の権威みたいなものは大嫌いで、そんなものにひれ伏す東浩紀さんは大したやつじゃないと勝手に思っている。
賢くなるためには、頭を鍛えなくてはならないが、頭を鍛える大切な期間を過ごす小中学校、あるいは、高校では、試験の採点の仕方を最優先とし、学問や教育がすっかり歪んでしまっている。私は、ひょっとしたら、これが有名な、「中国、ロシアによる、アメリカや日本の若者の頭脳を破壊するための策略」と思ったものだが、当たらずと言えども遠からずといったところだろう。
まあ、偏見かもしれないが、そんなことを感じていたので、私は学校の勉強は真面目にやらず、成績が悪かったこともあり、社会では不利な立場になってしまった。それがどういうわけか、そんなエリート教育に加担する企業に関わり、高学歴な人々を沢山見たが、やっぱりおかしな人が多かったと思う。
人間の生まれつきのIQは遺伝でほぼ決まるらしく、その遺伝率は、一般に遺伝的と思われている背の高さの遺伝率よりずっと大きいのだという。つまり、人間の頭のレベルは、生まれつき決まっているのかもしれない。
ただ、生まれつきの筋肉の強さがきまっているとしても、鍛えれば、かなり強くなるように、人間のIQも鍛えれば必ず伸びると思う。
いや、それどころか、人間の脳は驚異的なほど優秀で、誰でも相当な可能性を秘めていると思われる。
最終的には、デカルトが言うように、世間で学ぶのが良い。
しかし、デカルトは基礎的な学問はよく修めていた。
面白いのは、デカルトは、今で言う中学や高校あたりで、「この学問は良いが、この学問は懐疑的だ」と区別すると共に、「怪しげな学問も何等かの役には立った」と言ったことだ。
この怪しげな学問とは、占いや魔術の類であったが、デカルトは実際は大のオカルト好きだった。
ニュートンが、オカルト研究のついでに数学や物理学をやっていたのだということは知られているが、デカルトも、そんな傾向があったのだと思う。
オカルトも、学びようで頭が良くなるのだろう。
ニュートンのオカルトは、多くは聖書の研究だった。
イーロン・マスクなども、聖書はよく読み、評価していたと思う。
日本には、『カタカムナ』や『ホツマツタヱ』といった知恵の書もあるのだが、世間に出回っているものを見ると、まだまだ、あまり優秀でない人の個人的独断を含んだ怪しげなものが多く、学び難い。
いずれにしても、仏典や聖書などの聖典も、権威側に読まされる形で読むと、必ず歪んだ理解をする。
よって、あまり宗教には関わらない方が良いかもしれない。
私は、とりあえずは聖書は読んでいる。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)方法序説ほか (デカルト)
(2)プリンキピアを読む ~ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?~ (ブルーバックス)
(3)旧約聖書(新日本聖書刊行会)
(4)新約聖書(新日本聖書刊行会)
(5)バガヴァッド・ギーター(日本ヴェーダーンタ協会)
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