美術館に行って絵画を眺め、作者の腕前に感激するだけでは、芸術が存在する意味がないように思います。
岡本太郎は、パリの美術館でセザンヌの絵を見て、涙がとめどもなく流れたようです。
岡本太郎に起こったこととは何だったのでしょうか。

芸術は何のためにあるのでしょう。
英国の作家コリン・ウィルソンは、著書の中で、芸術は宗教の下僕として始まったと述べていました。
宗教というものは、本来は、人が魂の深奥に触れ、世界や自分が存在する意味を知り、人に無限の活力を甦らせることが出来るものでした。しかし、いつしか、宗教は権威を持つと共に形骸化され、その役目を果たすことが無くなりました。
芸術は、宗教の本来の目的を助けるためのものでした。美しい絵画や彫刻、あるいは、音楽で儀式の雰囲気を荘厳にし、人と魂の接触を容易にするために役立っていました。
しかし、宗教の方が形だけになってしまったので、本来は宗教が果たすべき役割を芸術が担うようになりました。そして、芸術は、そのために、実際に驚くべき進化を遂げました。

芸術は、人の心に荘厳さを甦らせ、魂を高貴にし、神の霊感を受けて生きる意味を悟り、無限のエネルギーを受けるためのものになりました。しかし、宗教がそうであったように、芸術も権威主義となって形骸化してしまい、その力を失くしてしまったように思います。
サルトルは、本を読むことは、その本を自分で書くことだと言いましたが、絵画や彫刻を見ることも、自己の内の神秘的な存在が、それらをその場で再構築しているのです。
そして、果てしない宇宙すら、自分の意識が創り出したものであることを知るに至ると思います。芸術とは、そのようなものであるべきだと思います。

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