本気で願えば、どんな願いも叶う。
こう言っても、納得しない人が多い。
つまり、願いなんて、そう簡単に叶わないと思っている人が多いのだ。
しかし、やはり、本気で願えば叶うのである。
叶わないとしたら、願いが本気でないからだ。
たとえば、彼女が欲しいという願いがあっても、彼女が出来たらいろいろ面倒だし、時間も奪われるしで、実際はそれほど本気にはなっていないのだ。
有名な作家になりたいと願っても、それが叶ったら叶ったで、やはりいろいろ面倒があるし、そもそも、最初のヒット作品を書くのも億劫かもしれない。
こんなふうに、その願いが当初は真剣であるほど、願いが叶うことのマイナス面を思いつき、本気度がどんどん下がるのである。

多くの人の願いは、セミリタイアと言って、十分な資産を得て、遊んで暮らすことだ。
しかし、特に日本人というのは、会社や何かに帰属して働かないと不安になるよう洗脳されているので、本気でセミリタイアを望む者は少ないのである。

一方、マイナス面が思い浮かばない願いというのは、割と簡単に叶えられるのである。
しかし、お金に関して言えば、1億円どころか、1千万円でも、自分がそんなお金を持ってはいけないのではないかという奇妙な想いを持っている人が多い。それが、お金に対する器量とでもいうものだろう。
日本人が、お金に関する器量が小さいのも、やはり洗脳なのである。
あるいは、月給30万円なら平気でも、月給が100万円だと、妙に自分に相応しくないような気がして、本気で願えないので、実際に月給100万円にならないということも多い。
自分はそんなことはないと思っても、実際に100万円以上の月給をもらったら、給料明細を見せて自慢したがるのも、実は、そんな月給が自分に相応しくないと思っているからだ。

アメリカの引き寄せでは、希望は大きく、たとえば、月収は1000万円とか、もっと多くを設定することも多いが、日本人には難しい。
これは、アメリカでは信仰を持っていることが普通であることが関係している。
アメリカ人は、それなりに神と自分との関係性を確立しているので、その他のことは軽く見ることが出来るが、信仰のない日本人は人間関係が全てで、人間関係の中でバランスを欠くことが出来ず、常に他人の目も気になる。
そんな中で、並外れた収入を得ることにはかなり気後れしてしまうのである。
実は、日本人が信仰を持たないのは、戦後、GHQにより、神道はもちろん、仏教も取り上げられたからである。日本人の多くが仏教の信徒だと言っても、それは形だけであることはお分かりかと思う。
そんなわけで、神道や仏教の信仰を持つことは、引き寄せのためにも案外に良いのである。
そして、日本人のルーツがユダヤ人であるという説によれば、日本人には意外にキリスト教が合うし、むしろ、古い伝統や慣習に縛られずに信仰出来るのはメリットである。
私も、信仰というのとは違う気もするが、新約聖書の福音書は16歳の時から読んでいいて、これが案外に精神の安定に役立っているのかもしれない。
ただし、金のかかる宗教は絶対にやらないことだ。より変な人間関係が出来てしまい、悲惨な結果になるだろう。
宗教にお金がかかるはずがないことは断言出来る(多少の献金は構わないが)。
聖典を真面目に読むくらいで十分と思う。

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(1)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(2)新約聖書(新日本聖書刊行会)
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春の時
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