今朝も書いたが、これからの人間は、常識ある変な人でないといけないと思う。
もう、そんな人間でないと、生きるのが辛くなるし、いい思いも出来なくなる。
ただ、「変な人になれ」と言ったら、非常識な変な人になろうとする者が多い。
ある意味、常識を逸脱することが変な人になることなのだが、人として大切な常識は持たないと、人間でなくなる。
人としての常識にはいろいろあるが、若いうちはなかなか気が付かない常識もある。
しかし、最重要な常識を持っている限り、若い間は多少のことは大目に見てもらえるし、年長者は大目に見ないといけない。年長者だって、若い時は、いくらかの常識には欠けていたはずなのだから。
しかし、最重要な常識は、若者だろうが子供だろうが、本当は殴ってでも持たせないといけない。
それは、「弱い者いじめをしない」ことである。
ところが、特に今は、子供の時から弱い者いじめをする者が多い。
そして、今の大人は、それを止めるどころか、助長する場合が多い。特に学校では。
学校では、変わり者・・・変に目立つやつはいじめられる。
そして、教師は、変わり者に居て欲しくないので、いじめグループと利害が一致し、放置するのである。
変わり者がいじめられるのは、大人の世界でも同じだ。
だが、我々は、岡本太郎のようでないといけない。
「嫌われていい。いや、嫌われないといけない」
「馬鹿にされていい。いや、馬鹿にされないといけない」
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」

なかなか厳しくはあるが、究極の真言を唱えれば、楽々と出来るし勝てるはずだ。
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
これらを唱えれば、常識ある変わり者にもなれるだろう。
神様は、普通の人から見れば大変な変わり者だし、神様ほど常識のある者はいない。
ただし、その常識は宇宙大自然の常識であり、弱い者いじめをするような者が嫌う常識だ。

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(1)岡本太郎 歓喜
(2)岡本太郎の遊ぶ心(岡本敏子)
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(5)涼宮ハルヒの憂鬱(谷川流)
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橙色の記憶
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「橙色の記憶」
Kay

  
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