ジョセフ・マーフィーは、著書の中で次のように書いている。
「自分のことを、神の可愛い息子や娘だと思いなさい」
「神は天の上におられるのではなく、自分の手足より身近にいる」
私は、面倒だから、神は魂だと思うことにしているが、間違いではないと思うし、少なくとも、魂は神のようなものと言っても良いと思う。
私は、『エイリアン・インタビュー』で、宇宙人エアルが「魂とは、人間の概念で最も近いものでは神だ」と述べていたのを気に入っている。
その神、あるいは、魂にとって、自分が息子や娘であるというのは、気持ち的に納得出来るかどうか分からないが、神に嫌われてはおらず、むしろ、神が我々を物凄く好きだということは信用して良い。なぜなら、神は絶対に失敗しないが、我々は、その神が作ったものだからだ、
人間が、悪いことをしたり考えたりするのも、神が人間を、悪いことをしたり考えたり出来るように作ったからである。
とはいえ、人間が悪いことをするのは、自分が神に好かれていることを信じていないからだろう。

「心おだやかに」と唱えると、心がおだやかになる状況が訪れるのは、神、あるいは、魂が我々の心がおだやかであることを望んでいるからだろう。
もし、そう唱えても、なかなか心がおだやかになる状況にならないなら、それはやはり、神に好かれていることが信じられないからだろう。
だが、根気強く唱え続けたら、やがて、即座に心がおだやかになる状況が現れるようになり、それにつれて神に好かれていることが確信出来るようになっていくと思う。

極めつけは、究極の真言、
「私はなるようになるだろう(I will be what I will be)」
「私ば常に生成する者である(I am the ever-becoming)」
で、こう唱えていたら、世界は、良いようになるし、良いように生成される。
唱え続けたら、その確信がどんどん高まるし、それどころか、自分が、神、あるいは、魂と融合していく。
エマーソンが「神の魂が私の魂の中に流れ込み、私の魂が神の魂の中に流れ込む。その体験は忘れることが出来ない」と言った通りである。
その体験を起こすものが、この究極の真言である。

神や魂という言葉を多用すると、宗教的に感じてしまうかもしれないが、他に適当な言い方がないから仕方がない。
頭から無理に信じる必要はなく、上にあげた言葉を唱え続けたら、自然に信じるようになると思う。
自我意識が強い者ほど時間がかかるかもしれないが、上の言葉であれば、それほどの時間はかからないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー)
(2)人生に勝利する(ジョセフ・マーフィー)
(3)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(4)エマソン名著選 精神について(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(5)エイリアン インタビュー(ローレンス・スペンサー)

茜色の空
AIアート1352
「茜色の空」
Kay

  
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