究極の真言が予想をはるかに超えて良いので、覚え書きの意味もあるが、興味がある方もいるだろうから、原文と補足を紹介する。
私が究極の真言と呼んでいるものとは、旧約聖書の『出エジプト記』の3章14節にヘブライ語で書かれた、神がモーセに対して名乗った名前である。
それを英語表記すれば、

Ehieh Asher Ehieh
エヘイェ・アシェル・エヘイェ
エヒイェ・アシェル・エヒイェ
エヒュー・アシェル・エヒュー
エイェ・アシェル・エイェ

となる。
これは、普通、英語と日本語で、

I AM THAT I AM
私は在りて在る者なり

と訳される。
これに対し、ウォルター・アーネスト・バトラーは『魔法入門(Magic And The Magician)』の中で、2つの英訳を紹介している。
それは、

(1)I Will Be What I Will Be
こちらの方が、I Am that I Am より、はるかにヘブライ語の意味を伝えているという。
これを、大沼忠弘氏は
「わたくしはなるようになるであろう」
と訳している。

(2)I Am The Ever-Becoming
これがさらに忠実な訳であると言う。
これを、大沼忠弘氏は
「われはつねに生成する者なり」
と訳している。
尚、becoming は、通常の意味は「変化」であるが、哲学用語として「生成」という意味がある。

「Ehieh Asher Ehieh」は、研究者などの間では、実に様々な解釈があり、どれが正しいということは言えないようだ。
だが、私は、神とは「Ever-Becoming」で、その訳が「つねに生成する者」というのを見て、ダイアン・フォーチュンが「神とは圧力なのだ」と聞いて感じたのがこれではないかという感覚・・・おそらく天啓を感じた。

そこで、大沼忠弘氏の訳を口語調に、
「私はなるようになるだろう」
「私は常に生成する者である」
とし、究極の真言とした。
本来、この2つは、「Ehieh Asher Ehieh」の別の訳なのだが、両方正しい。
つまり、
「私はなるようになるだろう」(心で言う場合)
「私は常に生成する者である」(魂で言う場合)
であり、両方を唱えることで、自我(心)が真我(魂、神)と融合するのである。
引き寄せのために唱えるのなら、
「私はなるようになるだろう」
だけでも十分と思う。
しかし、
「私は常に生成する者である」
を併せて唱えた方が、より強力だし、うまくいかない人も、より速く、確実にうまくいくようになると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)魔法入門(W.E.バトラー)
(2)Magic and the Magician(Walter.Ernest.Butler )※『魔法入門』英語版
(3)神秘のカバラー(ダイアン・フォーチュン)
(4)The Mystical Qabalah(Dion.Fortune) ※『神秘のカバラー』英語版
(5)神道のルーツとユダヤ(久保有政)

そこに居る妖精
AIアート1343
「そこに居る妖精」
Kay

  
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