紙芝居というものをご存じだろうか?
いや、若い人なら、知らない人も多いと思ったのだ。
だが、2013年のアニメ『変態王子と笑わない猫。』で、高校1年生の筒隠月子(つつかくしつきこ)が紙芝居を作っていたので、若い子でも紙芝居を知っているのは常識的なことかなとも思ったのだ。
紙芝居の原型は江戸時代の写し絵で、日本発祥のものであり、英語でも紙芝居はカミシバイ(kamishibai)のようだ。
あえて紙芝居を英語にすれば、picture-story show や picture-card showになる。

紙芝居の欠点は、絵の大きさに自ずと限界があることだ。
今(2024年)は日本では、小学校の学級定員が40人から35人になろうとしているらしいが、昔は40人以上ということも珍しくなかった。だが、35人でも、クラス全員に紙芝居を見せるのは無理があるかもしれない。
私も、紙芝居を見た記憶はあまりない。
幼稚園の時も、1クラスで見る時であっても、プロジェクターで絵を映していた。
今なら、各教室にプロジェクター用のスクリーンが常備されている学校もあると思う。

紙芝居でも、プロジェクター芝居でも、あるいは、人形劇でも良いが、幼い時に見たもので、何か憶えているお話があるだろうか?
映画やテレビドラマとなると、商業的な都合で、娯楽要素が多過ぎるので、省こうと思う。
なぜ、そんなことを聞くのかというと、幼い時にみた紙芝居的なものが、一生の精神性を作ることが多いし、それが引き寄せ能力に反映すると思われるからだ。
私のキリスト並だった奇跡能力も、紙芝居的なものの影響が大きいと思う。
私は、4歳の時は、通っていた幼稚園のクラスの人数が少なく、紙芝居で、グリム童話の『オオカミと七匹のこやぎ』を見た覚えがあるが、あれは、子供の頭に不合理性を与えるので良くない(笑)。もっとも、ドイツの「心身医学の父」ゲオルグ・グロデックによれば、このお話には、性的に何か深い意味があるのだそうだが。
また、同じ幼稚園で、触れたら石になってしまう花のお話も紙芝居で見たが、このように、小さい子に何恐い話を聞かせるんだと思うようなものもあった(笑)。
だが、5歳の時に、まともな幼稚園に入り(笑)、プロジェクターで芝居を見たが、そこで印象に残っている作品が2つあった。
1つは、アンデルセンの『人魚姫』で、もう1つは、仏教の説話が発祥なのに、なぜか世界中に似たお話がある『月の兎』だ。
この2つが、私の奇跡能力の元であったようにも思われる。
共に、テーマは自己犠牲で、『人魚姫』はアンデルセンが霊感を受けて書いた作品だし、『月の兎』も仏教やアメリカ先住民の昔話として大昔から伝わる深い話である。

つまり、大きな成果のためには、何らかの犠牲が必要で、言い換えれば対価が必要ということだ。
その対価は、別に金銭とか物質であるとは限らない。
CLAMPの漫画作品で、度々「対価が必要」というセリフが出てくるのは、CLAMPも世界の仕組みに気付いているのだろう。
対価として、よく知られているのが「断ち物」で、実例として、春日局が幼少時の徳川家光の病気の回復を願って、一生、薬断ちしたことや、上杉謙信が戦の勝利を願って、生涯、女を遠ざけた女断ちが有名だ。家光は回復して死を免れ、上杉謙信は戦で無敗であった。
水野南北の少食開運も、食べ物を犠牲、あるいは、対価として神に差し出すことで、幸運を得るという仕組みである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)今昔物語集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
(2)アンデルセン童話集 1(完訳) (岩波文庫)
(3)にんぎょひめ (いわさきちひろの絵本)
(4)エスの本 ~ある女友達への精神分析の手紙~(ゲオルク・グロデック)
(5)ツバサ(1)(CLAMP)

夜のしじま
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「夜のしじま」
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