マイナスの状況を疑えば、そのマイナスの状況が消えるというのは、面白いメソッド(手法)だし、本当に効果がある。
少し前、私の前にすごく迷惑な人間が2人現れたのだが、私が「こいつら、本当に迷惑なのかな?」と疑ったら、この2人が私に無茶苦茶親切になったということがあった。これは鮮烈な体験だった。
ただ、この「マイナスを疑うメソッド」の難点は、「何を疑うか?」の設定が難しいことだ。
消したい状況が、本当に辛い場合には、感情的に乱れる恐れも多い。
たとえば、人に裏切られた時、「本当に裏切られたのだろうか?」と疑うのは、なかなか厳しいかもしれない。
お金がない時に、「本当にお金がないのだろうか?」と疑おうとしてもあせりが出てくるし、1億円欲しい時に、「本当に1億円ないのだろうか?」と疑っても、空々しく感じてしまうかもしれない。
それで思うのだが、脳波がアルファー波に下がった状態、つまり、心が静かな状態で疑う必要があるのだと思う。
だが、消したいマイナスの状況のことを思うと、心が騒ぐのだからやり難いのである。
まずは瞑想状態に入る必要があるかもしれない。
ところで、「マイナスをプラスと思うメソッド」というものがある。
簡単な言い方に変えると「悪いことは良いこと」と思うことだ。
例えば、肩が痛い時に、「肩が痛いのは良いこと」と静かに唱えると、痛みが消えると言うより、意識の変革が起こる。それで、大抵の場合は痛みは消えるが、消えないとしても心が平和になる。まあ、大概、痛みは消えるのだが、むしろ、消えないのに心が平和という方が素晴らしいと感じる。
昔、奇跡的治癒で知られた人がいて、政木和三さんもその人を見て、一瞬で力があると分かったという話がある人だった。
その奇跡の人が講演会で、会場にいる人に、「今、何か問題がありませんか?」と尋ねたら、尋ねられた人は「ずっと脚が痛いんです」と言う。
普通のセミナーであれば、「では」と、脚の痛みを取り去って「奇跡だ」ということになり、後で調べたら、その脚が痛いと言った受講者がサクラだったり、単に、暗示で一瞬痛みが和らいだと感じただけ・・・といったパターンが多い。
だが、この奇跡の人は、会場の人達に、「脚が痛いのは良いこと」と静かに念じるよう言い、そのようにしたら、しばらくして、会場の雰囲気が変わった。人々の意識に変革が起こったのである。脚が痛い人の、その痛みも消えたらしいが、それは付け足しのようなものだったという。
そのように、静かに念じる、軽く念じる・・・ソフトタッチで(穏やかな態度で)念じることが大切である。
好きな女の子が、全然相手になってくれなければ、たとえば、「彼女が冷たいのは良いこと」と静かに唱えれば良い。それで具体的にどうなるかは分からないが、意識の変化は確実に起きる。そして、この世界の構造的に、彼女は優しくなるだろうが、あるいは、彼女が自分に相応しくないことが分かるのである。
岡本太郎の、「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」という精神性を思い出す。
上の例で言えば、
「脚が痛くていい。いや、痛くなくてはならない」
「彼女が冷たくていい。いや、冷たくなければならない」
「彼女が優しくなくていい。いや、優しくされてたまるか」
といった感じである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)死活の書(五島勉)
(2)イソップ物語 その恐ろしい真相(五島勉)
(3)岡本太郎の遊ぶ心 (岡本敏子)

AIアート1314
「澄んだ空気」
Kay
少し前、私の前にすごく迷惑な人間が2人現れたのだが、私が「こいつら、本当に迷惑なのかな?」と疑ったら、この2人が私に無茶苦茶親切になったということがあった。これは鮮烈な体験だった。
ただ、この「マイナスを疑うメソッド」の難点は、「何を疑うか?」の設定が難しいことだ。
消したい状況が、本当に辛い場合には、感情的に乱れる恐れも多い。
たとえば、人に裏切られた時、「本当に裏切られたのだろうか?」と疑うのは、なかなか厳しいかもしれない。
お金がない時に、「本当にお金がないのだろうか?」と疑おうとしてもあせりが出てくるし、1億円欲しい時に、「本当に1億円ないのだろうか?」と疑っても、空々しく感じてしまうかもしれない。
それで思うのだが、脳波がアルファー波に下がった状態、つまり、心が静かな状態で疑う必要があるのだと思う。
だが、消したいマイナスの状況のことを思うと、心が騒ぐのだからやり難いのである。
まずは瞑想状態に入る必要があるかもしれない。
ところで、「マイナスをプラスと思うメソッド」というものがある。
簡単な言い方に変えると「悪いことは良いこと」と思うことだ。
例えば、肩が痛い時に、「肩が痛いのは良いこと」と静かに唱えると、痛みが消えると言うより、意識の変革が起こる。それで、大抵の場合は痛みは消えるが、消えないとしても心が平和になる。まあ、大概、痛みは消えるのだが、むしろ、消えないのに心が平和という方が素晴らしいと感じる。
昔、奇跡的治癒で知られた人がいて、政木和三さんもその人を見て、一瞬で力があると分かったという話がある人だった。
その奇跡の人が講演会で、会場にいる人に、「今、何か問題がありませんか?」と尋ねたら、尋ねられた人は「ずっと脚が痛いんです」と言う。
普通のセミナーであれば、「では」と、脚の痛みを取り去って「奇跡だ」ということになり、後で調べたら、その脚が痛いと言った受講者がサクラだったり、単に、暗示で一瞬痛みが和らいだと感じただけ・・・といったパターンが多い。
だが、この奇跡の人は、会場の人達に、「脚が痛いのは良いこと」と静かに念じるよう言い、そのようにしたら、しばらくして、会場の雰囲気が変わった。人々の意識に変革が起こったのである。脚が痛い人の、その痛みも消えたらしいが、それは付け足しのようなものだったという。
そのように、静かに念じる、軽く念じる・・・ソフトタッチで(穏やかな態度で)念じることが大切である。
好きな女の子が、全然相手になってくれなければ、たとえば、「彼女が冷たいのは良いこと」と静かに唱えれば良い。それで具体的にどうなるかは分からないが、意識の変化は確実に起きる。そして、この世界の構造的に、彼女は優しくなるだろうが、あるいは、彼女が自分に相応しくないことが分かるのである。
岡本太郎の、「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」という精神性を思い出す。
上の例で言えば、
「脚が痛くていい。いや、痛くなくてはならない」
「彼女が冷たくていい。いや、冷たくなければならない」
「彼女が優しくなくていい。いや、優しくされてたまるか」
といった感じである。
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