引き寄せというものが、教える人によって言うことがかなり異なったり複雑怪奇なこともあり、胡散臭く思われて、なかなか一般に認められないのは、これまでの引き寄せが天動説みたいなものだったからだと思う。
天動説と地動説は、ある意味、視点が違うだけで、天動説にだって法則というものは、ちゃんと考えられる。
ただ、地球を視点とした天動説で法則を構築しようとしたら、非常に複雑になる。
これまでの引き寄せが複雑なのも、事情は同じだと思う。
ただ、飛行機もない時代であれば、天動説でも、それほど複雑ではないし(むしろ簡単)、実用的にも、それほどの不都合はない。
それに、天動説は美しく、ロマンチックで、私はなかなか好きだ。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、月の満ち欠けは、太陽と地球と月の位置関係によると理解していて、その頭の良さには恐れ入る。
そんな彼が考えた様々なことは、現在でも通用・・・どころか、現在でも誰も追いつけないものもある。
天動説を法則付け、理論付けするうちに、アリストテレス始め、古代の哲学者・数学者達は異常に頭が良くなったのかもしれない。
紀元前3世紀の人と言われるユークリッドの『原論』は19世紀まで大学の数学の教科書であったし、現在でも数学の基礎と考えられている。
ちなみに、現在でも天動説を信じている人は、別に未開民族でなくても、地球上に珍しくはない。
そんな人達に会っても、単に考え方の違いとして、仲良くしたいものである。

アリストテレス以来の大哲学者と言われるバートラント・ラッセルは、数学者でありながらノーベル賞(文学賞)を受賞した稀有な人だが、彼がイギリスの田舎で地動説の一般講義をしていた時、受講していたあるお婆さんは天動説を信じており、世界は亀の背中の上であると主張した。
そこで、ラッセルは、そのおばあさんに「では、その亀は何に乗っているのですか?」と尋ねた。お婆さんをやり込め、改心させるきっかけに出来ると思ったのかもしれない。
しかし、お婆さんは答えた。
「まあ、お若いのにオツムのよろしいこと!でもよくって。亀の下はずーっと亀なのよ」
「ずーっと亀」というのは論破出来ない。
お婆さんの勝利だ。
私は昔、笑い話として、女子大生にこの話をしたら、その女子大生は「私も亀の方がいい」って言っていたものだ(笑)。
しかし、気紛れに動く亀なら怖いではないか・・・と思うこと自体、私も、世界が亀の背中の上で良いと思っているのかもしれない。
ちなみに、スティーヴン・ホーキング博士も「そのお婆さんと我々に大差はない」と言っていた。

これまでの引き寄せでは、「心をおだやかにすれば、潜在意識が活動して引き寄せが起こる」と考えていた。
だが、新しい引き寄せでは、「心がおだやかになるよう願えば、心がおだやかになる状況が引き寄せられる」と考える。
これまでの引き寄せの方が味わいがあって面白いが、新しい引き寄せの方は簡単である。
心が、「心おだやかに!」と命じれば、魂が心と同調し、世界を動かす。
なぜなら、心をおだやかにすることが魂の願いであるからだ。
1億円あれば心がおだやかになると思い、「心おだやかに!」と唱えれば、心がおだやかになるために、別に1億円は必要でないことが分かる。
そして、「心おだやかに!」と唱えていたら、心がおだやかになるだけのお金が引き寄せられ、それで「全く困っていないので、1億円もなくていいや」と思っていたら、1億円が出来たりする。
それが新しい引き寄せと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)天空の地図 ~人類は頭上の世界をどう描いてきたのか~
(2)アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫)
(3)ワイド版世界の大思想 第2期〈13〉ラッセル(バートラント・ラッセル)
(4)その望みは宇宙がかなえてくれる(ベルベル・モーア)
(5)星からの宅配便(ベルベル・モーア)※『その望みは宇宙がかなえてくれる』の別訳
(6)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)

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