「生きてるだけで丸儲け」という言葉を、明石家さんまさんが座右の銘にしているという話を聞いた覚えがある。
良い言葉だとは思うが、普通の人が真似するのはどうかと思う。
大成功すれば、確かに、生きていることは楽しいだろう。
また、実際に私も知っているが、病気などで死にかけた人が命が助かった時には、「生きてるだけで丸儲け」とも思うだろう。
しかし、そんな人達ですら、いつまでも、「生きてるだけで丸儲け」とは思わないものだ。
生きるのは最低の権利である。
だが、人間は、それだけで喜べるようには出来ていない。

『エル・カザド』というアニメの『嘘つく女』という回で、マフィアのナンバー2であるサンチェスは、
「3度の食事が出来れば天国だ」
と言うが、それは彼が子供の時、飢えていたからだ。
しかし、金持ちになって十分に食べられるようになっても、そう思い続けることはアニメでもなければ出来ないと思う。

人間は、ロボットのようなところがあり、その脳は、構造上、良いことがなければ、嬉しいとか有り難いとは思えない。
善い悪いではなく、そういうふうに出来ているのだ。
「ありがとう」と十万回言えば幸せになるとかいった話があるが、良いことがないのに(むしろ悪いことが多いのに)、そんなことが出来る者は・・・まあ、稀にはいるかもしれないが、それは、脳に何らかの欠陥がある場合ではないかと思う。

どんなボロでも、着る服があるとか、住む家があることに感謝しろという者もいるが、それも実際には不自然なのだ。
「食べさせてくれる親に感謝しろ」とかもよく言われるが、そんなことは強制するようなことではない。
むしろ、良い親なら「そんなことで感謝するな。もっと良いものを自分で得て、しかるべき相手や神様に感謝しろ」と思うものだ。
そして、そんな態度でいてくれた親に、ずっと後で感謝するのだ。

上に述べたことは、不道徳に思えるかもしれないが、人間とは不道徳なものだ。それは認めた方が良い。
その上で、競争は良いが、弱い者いじめをして良いものを得たら、不幸になることを理解すれば良い。
お金持ちの子供が立派になることが多いのは、些細なことで弱い者いじめをして後悔する機会が多いからである。
むしろ、感謝を強制されたような子供が、陰湿ないじめをする場合が多く、しかも、その過ちに気付き難い。

さて、ここで、昨日書いた、ベルベル・モーアの「心おだやかに!」の呪文を再度、取り上げる。
この呪文を唱えても、心おだやかになるわけではない。
心おだやかになる出来事が実際にあって初めて、人間は心おだやかになる。
これは、上で述べた、良いことがあって初めて感謝するのと同じだ。
「心おだやかに!」と唱えたら、引き寄せの力が働き、心おだやかにさせてくれることが起こるのだ。
そんなことが、モーアの本にも書かれている。
ただし、唱えたからと言って、即時に(心おだやかになる出来事が)起こるわけではないかもしれない(起こる場合も多いが)。
だが、モーアの10歳の娘がそうであったように、そう遠くなく起こるのである。
そのための呪文であることを認識すると良い。
だから、「心おだやかに!」と唱えて、無理に心おだやかになろうと頑張る必要はないし、むしろ、頑張ってはならない。
モーアだって、彼女の娘だって、「心おだやかに!」と唱えても、少しも心おだやかにならなかった。
期待せず、感情を込めず、「ソフトタッチ」に「心おだやかに!」と唱えたら、おそるべき効果があると思う。
それで言えば、「!」はつけず「心おだやかに」と唱えれば良いかもしれないが、そんなことにこだわることもない。
多少の気合がないと、嫌な状況で唱えられないかもしれないので、その意味では「!」も良いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)その望みは宇宙がかなえてくれる(ベルベル・モーア)
(2)星からの宅配便(ベルベル・モーア)
(3)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
(4)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(5)エル・カザド ※dアニメストア for Prime Video対象作品

秋の草原
AIアート1287
「秋の草原」
Kay

  
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