よく、「政治に興味がない」と言う人がいるが、政治に興味を持つには、ある程度、経済と歴史が分からないといけない。
経済と歴史が全く分からずに、政治に興味を持てるはずがない。
経済と歴史が分かれば、国際情勢にも興味が持てるというか、国際情勢が理解出来る。
ただ、日本人は悲惨なほど、経済と歴史が分からない。
もしかしたら、権力者が意図的に学校とメディアを操作して、日本人に経済と歴史が分からないようにして、結果、日本人が政治に関心がないようにしているのかもしれない。そう考えれば、日本人の経済音痴、歴史音痴、政治音痴、そして、投票率の低さが納得出来るのである。
ああ、なるほどという感じだ。
本当に、学校の歴史や経済関連の勉強は、恐ろしいほど面白くなかった。
日本にも、新興の政党’(スタートは政治団体だが)が出来、それが衆議院参議院で議席を取って国政に参加している。
なぜ、そのようなことが起こるのかというと、既に存在している政党が腐って、政治を任せておけないからだ。他に理由があるはずがない。
参政党とか日本保守党、少し前(2019年)に出来たれいわ新選組という新興政党があるが、いずれも、結局は、そんな理由で出来たのである。
実際、既存政党の腐敗は大きいので、参政党や日本保守党などが出来るのは良いことである。
ところが、華々しくスタートした参政党や日本保守党に、信じられないような骨肉の醜い争いが続いている。
それぞれ、素晴らしいチームを組んでいたはずが、そのチーム内で対立し、チームは破綻している。
見ていて、非常に残念で心が痛む。
あれほど賢い人達ですら、一瞬しか仲良くやっていけないのであるから、凡人が、学校や会社等での人間関係が難しいのは当然であることが分かる。
大人の世界ではきれいごとは通用しないのかもしれないが、参政党や日本保守党の内部の争いを見ていて思い出すのは、私が好きな格言、
「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃は無抵抗なり。何もしない者が一番強い」
である。
まあ、格言とは言っても、イギリスのテレビドラマ『ダンディ2!華麗な冒険』で、イギリス貴族のシンクレア卿が祖父の教えとして言っていたことであるが、私は、子供の時、それを聞き「これぞ真理」と感じて憶えていたのだった。
私の認識の範囲では、参政党の抗争は、代表の神谷宗幣(かみやそうへい)氏対、武田邦彦(たけだくにひこ。工学博士)氏と吉野敏明(よしのとしあき。歯科医師・歯学博士)氏。
日本保守党の抗争は、代表の百田尚樹(ひゃくたなおき。作家)氏と有本香(ありもとかおり。ジャーナリスト)氏対、飯山陽(いいやまあかり。イスラム思想研究者・文学博士)氏だ。
この中で、勝者(本当の勝者という意味)は、私の考えでは神谷宗幣氏だけで、後は皆、負けである。
なぜなら、神谷氏は中傷されても言い返さなかった(事実関係は述べた)からである。つまり、神谷氏だけが無抵抗であった。
実際に何があったかは、私はYouTubeでしか見ていないので、さっぱり分からない。
しかし、全部ではないが、言い返さなかった神谷氏だけが信用出来、後の3人は、個人的には大嘘付きだと確信している。
まさに、「喧嘩両成敗」の思想が正しいことが分かる。
おそらく、参政党は政党として残るが、このままでは、日本保守党は遠からず消えると思う。
神谷氏、吉野氏、武田氏、百田氏、有本氏、飯山氏の中で、神谷氏以外は、専門で大きな成功を収め、政治家をやらなくても、どこでも「先生」と呼ばれる人達だ(有本氏は少し違うかもしれないが、先生と呼ばれることも多いだろう)。神谷氏は国会議員なのだから、やはり先生と呼ばれることもあるが、政治家でなくなったらただの人だ。
つくづく思うが、人間は、「先生」と呼ばれることを当たり前に思うようになっては終わりである(慣れるというのはあるだろうが)。
そりゃ、表では「先生」と呼ばれても仕方がないとしても、心の中では抵抗を感じるようでなければ、人間ではないと思う。
小学校や中学校の中でもそうである。
教師が一応は「先生」と呼ばれるのは、単なる呼称として便利だからであるが、本当は言われる方も「私ごときが」と後ろめたさを感じるはずだし、教師どうしで「先生」と呼び合うのは滑稽と思う。
今はどうか知らないが、昔は、中国人は日本人全員を「先生」と呼んだものである。しかしこれは、少しも良い習慣ではなかっただろう。
私はいかなる場合も、人が人を「先生」と呼ぶのはやめた方が良いと思う。
まあ、私が先生と呼ばれることはない。
それでも、コンサルタントやカウンセラー、あるいは、講演会の講師をする時は先生と呼ばれることもある(横断幕に〇〇先生と書かれることもある)が、それは単に呼称として便利だからと解釈しているが、やはり心苦しい。もし、私が学校の先生になっても、生徒からの呼称以外として先生と呼ばれたら、あまり良い気分ではないだろう(慣れることはあるかもしれないが)。
私の解釈では、それが、マルセル・マルソー(フランスの世界的パントマイム・アーチスト)が最も大事にしていたという「ビギナーズ感覚」だし、トランプ大統領が言う「常識」と思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)日本の歴史をよみなおす(全) (ちくま学芸文庫)
(2)縄文文明 ~世界中の教科書から消された歴史の真実~
(3)日本の歴史1 日本の始まり 旧石器時代~奈良時代 朝日学生新聞社
(4)たった1つの図でわかる!【図解】新・経済学入門(髙橋洋一)
(5)その問題、経済学で解決できます(ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト)

AIアート1278
「ハロウィンのお化けカボチャ」
Kay
経済と歴史が全く分からずに、政治に興味を持てるはずがない。
経済と歴史が分かれば、国際情勢にも興味が持てるというか、国際情勢が理解出来る。
ただ、日本人は悲惨なほど、経済と歴史が分からない。
もしかしたら、権力者が意図的に学校とメディアを操作して、日本人に経済と歴史が分からないようにして、結果、日本人が政治に関心がないようにしているのかもしれない。そう考えれば、日本人の経済音痴、歴史音痴、政治音痴、そして、投票率の低さが納得出来るのである。
ああ、なるほどという感じだ。
本当に、学校の歴史や経済関連の勉強は、恐ろしいほど面白くなかった。
日本にも、新興の政党’(スタートは政治団体だが)が出来、それが衆議院参議院で議席を取って国政に参加している。
なぜ、そのようなことが起こるのかというと、既に存在している政党が腐って、政治を任せておけないからだ。他に理由があるはずがない。
参政党とか日本保守党、少し前(2019年)に出来たれいわ新選組という新興政党があるが、いずれも、結局は、そんな理由で出来たのである。
実際、既存政党の腐敗は大きいので、参政党や日本保守党などが出来るのは良いことである。
ところが、華々しくスタートした参政党や日本保守党に、信じられないような骨肉の醜い争いが続いている。
それぞれ、素晴らしいチームを組んでいたはずが、そのチーム内で対立し、チームは破綻している。
見ていて、非常に残念で心が痛む。
あれほど賢い人達ですら、一瞬しか仲良くやっていけないのであるから、凡人が、学校や会社等での人間関係が難しいのは当然であることが分かる。
大人の世界ではきれいごとは通用しないのかもしれないが、参政党や日本保守党の内部の争いを見ていて思い出すのは、私が好きな格言、
「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃は無抵抗なり。何もしない者が一番強い」
である。
まあ、格言とは言っても、イギリスのテレビドラマ『ダンディ2!華麗な冒険』で、イギリス貴族のシンクレア卿が祖父の教えとして言っていたことであるが、私は、子供の時、それを聞き「これぞ真理」と感じて憶えていたのだった。
私の認識の範囲では、参政党の抗争は、代表の神谷宗幣(かみやそうへい)氏対、武田邦彦(たけだくにひこ。工学博士)氏と吉野敏明(よしのとしあき。歯科医師・歯学博士)氏。
日本保守党の抗争は、代表の百田尚樹(ひゃくたなおき。作家)氏と有本香(ありもとかおり。ジャーナリスト)氏対、飯山陽(いいやまあかり。イスラム思想研究者・文学博士)氏だ。
この中で、勝者(本当の勝者という意味)は、私の考えでは神谷宗幣氏だけで、後は皆、負けである。
なぜなら、神谷氏は中傷されても言い返さなかった(事実関係は述べた)からである。つまり、神谷氏だけが無抵抗であった。
実際に何があったかは、私はYouTubeでしか見ていないので、さっぱり分からない。
しかし、全部ではないが、言い返さなかった神谷氏だけが信用出来、後の3人は、個人的には大嘘付きだと確信している。
まさに、「喧嘩両成敗」の思想が正しいことが分かる。
おそらく、参政党は政党として残るが、このままでは、日本保守党は遠からず消えると思う。
神谷氏、吉野氏、武田氏、百田氏、有本氏、飯山氏の中で、神谷氏以外は、専門で大きな成功を収め、政治家をやらなくても、どこでも「先生」と呼ばれる人達だ(有本氏は少し違うかもしれないが、先生と呼ばれることも多いだろう)。神谷氏は国会議員なのだから、やはり先生と呼ばれることもあるが、政治家でなくなったらただの人だ。
つくづく思うが、人間は、「先生」と呼ばれることを当たり前に思うようになっては終わりである(慣れるというのはあるだろうが)。
そりゃ、表では「先生」と呼ばれても仕方がないとしても、心の中では抵抗を感じるようでなければ、人間ではないと思う。
小学校や中学校の中でもそうである。
教師が一応は「先生」と呼ばれるのは、単なる呼称として便利だからであるが、本当は言われる方も「私ごときが」と後ろめたさを感じるはずだし、教師どうしで「先生」と呼び合うのは滑稽と思う。
今はどうか知らないが、昔は、中国人は日本人全員を「先生」と呼んだものである。しかしこれは、少しも良い習慣ではなかっただろう。
私はいかなる場合も、人が人を「先生」と呼ぶのはやめた方が良いと思う。
まあ、私が先生と呼ばれることはない。
それでも、コンサルタントやカウンセラー、あるいは、講演会の講師をする時は先生と呼ばれることもある(横断幕に〇〇先生と書かれることもある)が、それは単に呼称として便利だからと解釈しているが、やはり心苦しい。もし、私が学校の先生になっても、生徒からの呼称以外として先生と呼ばれたら、あまり良い気分ではないだろう(慣れることはあるかもしれないが)。
私の解釈では、それが、マルセル・マルソー(フランスの世界的パントマイム・アーチスト)が最も大事にしていたという「ビギナーズ感覚」だし、トランプ大統領が言う「常識」と思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)日本の歴史をよみなおす(全) (ちくま学芸文庫)
(2)縄文文明 ~世界中の教科書から消された歴史の真実~
(3)日本の歴史1 日本の始まり 旧石器時代~奈良時代 朝日学生新聞社
(4)たった1つの図でわかる!【図解】新・経済学入門(髙橋洋一)
(5)その問題、経済学で解決できます(ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト)

AIアート1278
「ハロウィンのお化けカボチャ」
Kay
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