認識を疑うことの力は、やはり凄いものだと思う。
これは、「(108式)不足を疑う(メソッド)」とか、「マイナスを疑うメソッド」と呼ばれるもので、
「目の前にある嫌な出来事が本当のことであるかを軽く疑う」
という精神的行為だ。
簡単な例で言えば、お金がないなら、
「本当に私にお金がないのだろうか?」
と、軽く疑うことだ。
すると、疑ったことは消える。この場合であれば、お金が出来る。
ただ、あくまで、軽く・・・つまり、私がいつも言う「ソフトタッチ」でやらないといけない。
お金が出来るよう強く念じながら「本当にお金がないのか?」と疑っても効果はない。
引き寄せにおいては、いかなる場合も「ソフトタッチ」が必要である。
ソフトタッチさえ忘れなければ、およそいかなる方法でも、引き寄せを行うことが出来る。
間違ったやり方も、ソフトタッチでやれば正しくなる。
いろいろなメソッドの中でも、認識を疑うメソッドは、特に効果が高いように思う。

良い認識を疑えば、その良いと認識している現象が消える。
悪い認識を疑えば、その悪いと認識している現象が消える。
わざわざ良い現象を疑う必要はない。ただ、そこは個人の自由である。

とにかく、私は効果を実感している。
ソフトタッチの重要性を見過ごしていた時は、効果が出るまでに少し時間がかかったが、それでも驚くべき展開で、嫌なことが消えた。
嫌なことが消えれば、普通は快適になるし、好ましい状況に変わることも多い。
例えば、妻の料理が不味いと思っていたところで、「本当に不味いのか?」と疑ったら、美味しくなったとかである。

私は最近、ある困難な問題について、「この問題は本当にあるのか?」と疑ったら、解決が不意に跳び込んで来て、私は何もしないのに、誰かが勝手に解決してくれた。
私は昔から、嫌なやつを消す名人だった(それが善いことかどうかは置いておく)。
認識を疑うメソッドを知らない頃は、そいつが、あたかも存在しないかのように振る舞い、本質的に「あいつは本当に居るのか?本当はいないのではないか?」と疑ったのと変わらないし、認識を疑うメソッドでやれば、もっと早く消せていただろう。
嫌な同僚、会社の嫌な幹部、嫌な上司で会社の役員・・・みんな消した(いや、客観的にはあくまで「消えた」である)。
ただし、好きな人も、「こんないいやつと親しくなるラッキーがあって良いのか?」と疑って消してしまったこともある。
昔、凄い美人の女子大生と親しくなりかけ、どう見てもうまくいっていたのに、「いや、こんな若くて素晴らしい美人が私の彼女になるなどあり得ない」と思ったのだろう。そんなことが3度ほどあったように思う。結果は・・・忘れた(察しろ 笑)。
逆に言えば、高根の花と思う相手がいても、「本当に高嶺の花か?」と疑えば良いだけである。
ただし、ソフトタッチでね。
この方法でうまくいかなかったという話もよくある。
だが、それは、間違いなく、ソフトタッチでなかった・・・ハードタッチであっただけだと思う。

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(1)荘子(1)中公クラシックス
(2)新釈 荘子 (PHP文庫)
(3)[新訳]正法眼蔵(ひろさちや訳)
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あかね雲
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「あかね雲」
Kay

  
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