今では珍説と言える「プログラマー35歳限界説」というのが定説だった時代があった。
「プログラマー35歳限界説」とは、プログラマーは能力的、労力的に、35歳位までしか出来ないという説だ。
これはプログラマーに限らず、その職業が一般的になってから10年とか20年位で、それを職業とする人の平均年齢が20代という時代には、35歳になればピークをとおに過ぎていると思われるものだと思う。
「プログラマー35歳限界説」に反論する人は、「40歳だろうが50歳だろうが問題なくやれる」と言っていたが、これも今では「60歳だろうが70歳だろうが問題なくやれる」になり、実際、60歳過ぎのプログラマーなんて珍しくもなんともない。確かに、プログラミングが好きでなければ、プログラミング業務はやめて、設計とかプロジェクトの管理、あるいは、コンサルタントを業務をする場合が多いが、別に年を取ってもプログラマーとしての能力が落ちることはなく、むしろ、経験の分、管理能力など、さまざまな能力は上がる一方なので給料の上昇にも見合うと言える。

以前、どこかの人気経済学者が「65歳過ぎたら自決しろ」みたいなことを言って話題になったが、これは、能力が低下し切っているのに高い地位に留まっている者が多いことの弊害を極端に表現したのだと思う。
しかし、年を取って能力が低下するのは、単に、その者が研鑽をしなかったからだ。
確かに、プロスポーツ選手や将棋棋士のように、若い時しかやれない職業があるが、これは純粋に体力の問題だ。
よく、政治家にも若返りが必要だと言われることがあるが、これは、研鑽を欠いて能力が低下した政治家が注目されることが原因で、その典型がアメリカ大統領のジョー・バイデンだろう。

漫画家も、若いうちに活躍する場合が圧倒的で、大漫画家の代表作が20代や30代の時の作品が多いのも、単純に、漫画家が重労働で体力が必要だからだ。まさか、漫画家に「働き方改革」なんて適用されることはないし、そもそも、「働き方改革」というのは大きな会社のサラリーマンや公務員限定と言って良いだろう。

時々、70歳や80歳を過ぎているのに、年金だけで暮らせないので働いているという話を見聞きするが、そこで言われる仕事が、ゴミ拾いや清掃など、単純な仕事である場合が多い。しかし、若いうちから研鑽を積んだ職業なら、健康であれば、仕事そのものは、80歳だろうが90歳だろうが十分出来る。
今は、いろんな慣習のせいで高齢者が働き難いし、また、専門の技能を磨いていない高齢者も多いが、そこらを変えていけば、少子高齢化の時代も、実は全く問題ない。移民など入れる必要はなく、必要なことは、単純労働作業へのロボットの導入である。
それと、若いうちから、「食える特技」を持っていなければならないだろう。
学校というのは、工場労働者を生産するためのものだし、テレビも工場労働者のための娯楽というのが基本なので、くれぐれも、学校やテレビに教育されてはならない。

確かに、年を取れば、のんびりしたいとか、何をやるのも億劫だとかいうこともあるかもしれないが、それならそれで出来る仕事もあると思う。
ただ、その場合でも、若いうちから・・・とは限らないのだが、やはり、長い間研鑽した技能が必要だ。
「一万時間の法則」が完全に適合するわけではないが、それなりの時間をかけなければ、世の中で役に立つようなことは出来ない。
引き寄せに、職業的特技が必要なわけではないが、それがないと面白くないか、面白いことが少ないとは言えるかもしれない。
仕事と趣味は同じだ。
没頭した趣味は仕事になる。よって、趣味を持つべきだろう。
よく「趣味を仕事にする」という言い方をするが、最初から、仕事と趣味を区別しない方が良い。
高じた趣味は必ず仕事になると思う。

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