「自分の頭で考えろ」と言う傲慢な者が多い。
私は、そんなことを言う者で、本当に賢い人を見たことはないし、おそらく1人もいないだろう。
ところが、そんな者に騙される人がまた多いのだ。
「自分の頭で考えろ」と言う者を信用してはならないし、相手になってもいけないと私は思う。

「どう生きるべきか」とか「どう考えるべきか」と言う者は、誰か人を騙したい、あるいは、洗脳したいのだろう。もし、そうでないとしたら、ただの馬鹿なのかもしれない。
「自分の頭で考えろ」と言うなら、せめて、自由に考えさせてやれば良いのに、特定の「考え」に誘導するのは、悪意か、迷惑で害のある善意である。

だいたい、この悪い頭で考えてどうなるってんだろう?
考えれば考えるほど、馬鹿な考えが浮かび、馬鹿な頭はそれを良いアイデアと思い、そのアイデアを言ったりしたりしたら、ますます酷い状況になるのは明らかと思う。
矢追純一さんのように、「僕は頭が悪いから、考えることを放棄した」と言う者が本当に賢いのである。

考えというのは、世界と同じで、固定観念を通し、固定観念と同種のものが出てくる。
固定観念のほとんどはゴミだ。
よって、ほとんどの考えはゴミである。

固定観念を消せば、純粋な知恵が現れる。
ところが、世の中で言う「固定観念を消す方法」は、今持っている固定観念をさらに悪いものに変質させるか、もっと酷い固定観念と交換するものばかりだと思う。

固定観念は、疑うことによってのみ消える。
楽しいことを疑う必要はないが(最終的には疑った方が良いのかもしれないが)、嫌だと思うことを疑えば、疑ったことに関連する固定観念が消える。
例えば、「金持ちは偉い」という固定観念があれば、自分が金持ちでないなら、自分の価値は低いことになる。
しかし、「金持ちは本当に偉いのだろうか?」と疑えば、「金持ちは偉い」という固定観念が消え、金がなくても劣等感を持たなくなる。
劣等感を持たなければ、お金を得ることは、意外に容易く楽しくなる。
「可愛い女の子はイケメンでないと付き合えない」という固定観念があれば、イケメンでない者は、可愛い子に積極的になれない。
しかし、「可愛い子と付き合うには、本当にイケメンでなくてはならないのか?」と疑うと、そんな固定観念は消え、可愛い子に気楽に話しかけるようになり、案外に簡単に付き合える。

そもそも、現実も、固定観念の投影である。
「私は本当に金持ちでないのか?本当は私は金持ちではないのか?」と疑うことで、最も効率的にお金を引き寄せる。
「私は本当にイケメンでないのか?本当は私はイケメンではないのか?」と疑うと、現実にイケメンになる。
ただし、いつも言うが、金持ちになるためやイケメンになるために現実を疑うとうまくいかない。
疑うだけである。
そのためには、ソフトタッチにやることが必要である。

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(1)新装版 ヤオイズム(矢追純一)
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