マイナス状況を認めつつ疑うという、スピリチュアル界では108式「不足を疑う」メソッドについて考えることで、これまで分からないことが分かって来る。
たとえば、『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻の、著者ベアード.T.スポールディングのこんな話がある。
彼は4歳の時、大学予備校に連れていかれ、アルファベットを見せられた。
教師に「どう思う?」と聞かれ、スポールディングが「分かりません」と答えると、教師は、「そんな態度とはサヨナラしろ」と言った。
そのおかげで、スポールディングは14歳でインドの最高の大学の1つであるカルカッタ大学を卒業し、原子物理学者として実績を上げることが出来たと言う。
しかし、上の、4歳のスポールディングに対する教師の教えの意味がはっきりしない。
スポールディングも、それについては何も書いていない。彼にも説明出来なかったのかもしれない。
「分からない」という態度が良くないのは分かった。
では、具体的にどうすれば良いのか?
「分からない」ものを「分かる」と思えというのか?
確かに、4歳の子供であれば、素直に教師に従って「分かる」と思い、実際に、今まで分からなかったことが瞬間で分かるということもあり得るかもしれない。
しかし、大人にはそんなことは出来ない。
だが、実を言うと、幼い子供が奇跡的なことを行う時に心の中で起こっていることは、大人にも自然なことなのである。
ただ大人はやらないだけだ。

つまり、スポールディングはアルファベッドを見せられ「分からない」と思ったが、教師はその態度は駄目だと言ったのだ。
そこで、スポールディングは、「僕は本当に分からないのだろうか?本当は分かっているのではないだろうか?」と疑ったのだ。
すると、分からないという現象が消え、分かるという現実が現れたのだ。

昨日、私にこんなことがあった。
私が嫌いな、良識に欠けたオツムの足りなさそうな2人の若者がいて、周囲に迷惑をかけていた。
私は注意しようと思ったが、実験することにした。
この2人に対し、「こいつらは本当はそんなに悪い連中ではないのではないか?」と疑ったのだ。
その直後、私にちょっとしたトラブルがあったのだが、2人のうちの1人が積極的に協力してくれて、簡単に解決し、もう1人の方もきちんとした態度になった。
あまりこういう話をして先入観を与えてはいけないらしいが、こんなことはザラである。

悪いことが何も起こらない人はいない。
世界一の大富豪や強大な権力者でも同じで、むしろ、そういった連中の方が、より大きな問題が起こる。
しかし、マイナスを適切に疑うことに慣れると、むしろ問題を歓迎・・・と、までは言わないが、それほど嫌ではなくなる。

次回は、『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻から、感動的な奇跡のお話を取り上げ、これもやり方を一般的にする。
この『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻は秘法満載で、単独で読んでも良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(2)私は何も信じない ~クリシュナムルティ対談集~
(3)方法序説 (岩波文庫)
(4)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
(5)千夜一夜物語 巻9の2 ※「アラジン、または不思議なランプ」含む
(6)マスターの教え(ジョン・マクドナルド )

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