嫌なことから逃げる人が多い。
逃げれば、嫌なことは、子供に対する犬のように追って来る。
この幻想の世界では、嫌なことを疑えば良いだけなのに。
「この嫌なことは本当のことなのか?」
ってね。ただ疑えば良い。

「目を疑う(わが目を疑う)」という言葉がある。
しかし、これは少しも疑っていない状態で、単に、「意外だ」「驚いた」というだけのことだ。
驚くほど悪い状況を見て、「嘘だろ?」と言う者はいるが、これも少しも疑っておらず、単に、その事実に打ちのめされている。
それが悪いことであれば、「嘘だろ?」ではなく、「本当か?」と言って、ちゃんと疑うべきなのだ。
ただし、その悪いことを否定せず、ただ疑うのだ。

嫌な事実を前に、「いや、認めない」とか、「強く疑うから消えてくれ」と思ってしまうと、何も変わらない。
落ち着いて、ただ、「これは本当か?」と疑うのだ。
すると、それは本当でなくなる。
それがあまりに急激に変化するので、奇跡のように思うこともある。

アラジンの魔法のランプの魔神に宝物を要求したら、魔神は本当はこう言うのだ。
「ご主人様はおかしなことを言われる。宝物ならあるではありませんか?」
「いや、ないじゃないか?」
この時、魔神は決して、「あると信じて下さい」とは言わない。
「ないことを疑って下さい」と言うのだ。
「本当はあるのではないのか?」といった感じだ。
小さなことで練習すると良いかもしれない。
しかし、いきなり大きなことから始めるのも悪くない。

数日前から、マイナスを疑う遊びをしているが、面白くて仕方がない。
こんな面白いことをしないのは人生、損をしていると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)千夜一夜物語 巻9の2 ※「アラジン、または不思議なランプ」含む
(2)投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
(3)ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻(ベアード.T.スポールディング)

高い空の下
AIアート1178
「高い空の下」
Kay

  
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