斎藤一人さんというお金持ちの事業家は沢山の本を書いているが、私は、彼の一番最初の本である『変な人が書いた成功法則』という本だけは気に入っていた。
この本の主張は、「困ったことなんか起こるはずがない。なぜなら、神様が愛するあなたを困らせるはずがないから」だけで、シンプルである。
この本も、一種の引き寄せの本と言えるが、そのやり方はこうである。
何か困ったことがあったら、「本当に困っているのか?」と問い、「いや、本当は困っていない」と分かれば、困ったことが消える。
だが、実際にやった人は、「いや、やっぱり困る」という場合が多いと思う。
私もだった(笑)。
たとえば、その本の中に、こんな話がある。
ある会社を経営する男は、弟がニートで困っていた。
そこで斎藤さんが、その男に、
「弟がニートなら、あなたは困るのか?」
と問うと、彼は、
「いや、俺だって経営者のはしくれだ。あいつ1人くらい、俺が一生食わしてやれる」
と答えた。
すると、ほどなく、彼の弟は働き始めた。
良い話と思った・・・昔は(笑)。
だが、その人は、会社がうまくいっていて、お金に余裕があるから「俺は困らない」と言えた。
しかし、彼がサラリーマンであったら、「いや、俺は困らない」とは言えないだろう。
あるいは、現在の社会問題である「80-50問題」、つまり、80歳の親が50歳のニートの子供の面倒を見ている場合、ほとんどの親は困っている。
これを、最近話題にしている108式「不足を疑う」ではこうやる。
弟がニートであることはちゃんと認識した上で、「本当に弟は働いていないのか?」と疑う(疑い方のバリエーションはいろいろある)。
すると、弟は働き出す。
ただし、弟を働かせるために疑うのではうまくいかない。
単に疑うだけだ。
こんな話があったらしい。
ある人の老齢の母親は身体障碍者でほとんど外出出来ず、認知症でもあった。
そこで、その人が、「母は本当に身体が不自由なのだろうか?」と疑うと、すぐに元気になって、あちこち出かけるようになった。
続いて、「本当に認知症だろうか?私の勘違いではないのか?」と疑ったら、母親の頭がはっきりしてきた。
これを上の斎藤式に「いや、母が身体障碍者で認知症でも困っていない」と思うのは、普通の人には難しい。
こんな実話もある。
ある人が、預金が2000万円以上あり、経済的に困ってはいなかったが、1億円は欲しいと思っていた。
上の斎藤式だと、「それで何か困っているのか?」と言われたら、困っていないかもしれない。そして「困っていない」ということが分かったら、その心の余裕が作用し、預金が1億円になるかもしれない。
しかし、この人の預金が2000万円ではなく200万円だったら「困っていない」とは、なかなか思えない(思えたら良いのかもしれないが無理だ)。
この場合は、「本当に私の預金は2000万円(あるいは200万円)か?俺の間違いじゃないのか?1億円くらいあるのではないか?」と疑うと、1億円あることになり、それが現実化するかもしれない。
上の斎藤式が悪いというのではなく、これは、ある程度(かなり?)力がある人向けで、他にも、斎藤さんの教えは、力がある人には良いのだと思う。
私が政木和三さんに直接教わった教えに、
「私はお金なんてちっとも欲しくない。だけど、どんどん入って来るものは仕方がない」
「私は女なんてちっとも欲しくない。しかし、女がどんどん来るものは仕方がない」
というものがあるが、これも力がある人でないと実践は難しいかもしれない。
ここは、108「不足を疑う」式に、
「本当にお金が入ってきていないのか?私の勘違いで、どんどん入っているのではないか?」
「本当に女が来ていないのか?そう見えるのは私の間違いで、本当はどんどん来ているのでは?」
と疑った方が良いかもしれない。
ただし、くれぐれも言うが、疑うだけであり、引き寄せるためにやるのではない。
個人的には、デカルトの『方法序説』を読んで、正しく疑うことを学ぶと良いと思う。
私も若い頃、『方法序説』の文庫本をどこにでも持ち歩いて(スマホがなかった時代)読み、疑う感覚を掴んだことが役に立っている。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
()方法序説(ルネ・デカルト。岩波文庫)
()変な人が書いた成功法則(斎藤一人)
AIアート1175
「美少女」
Kay
この本の主張は、「困ったことなんか起こるはずがない。なぜなら、神様が愛するあなたを困らせるはずがないから」だけで、シンプルである。
この本も、一種の引き寄せの本と言えるが、そのやり方はこうである。
何か困ったことがあったら、「本当に困っているのか?」と問い、「いや、本当は困っていない」と分かれば、困ったことが消える。
だが、実際にやった人は、「いや、やっぱり困る」という場合が多いと思う。
私もだった(笑)。
たとえば、その本の中に、こんな話がある。
ある会社を経営する男は、弟がニートで困っていた。
そこで斎藤さんが、その男に、
「弟がニートなら、あなたは困るのか?」
と問うと、彼は、
「いや、俺だって経営者のはしくれだ。あいつ1人くらい、俺が一生食わしてやれる」
と答えた。
すると、ほどなく、彼の弟は働き始めた。
良い話と思った・・・昔は(笑)。
だが、その人は、会社がうまくいっていて、お金に余裕があるから「俺は困らない」と言えた。
しかし、彼がサラリーマンであったら、「いや、俺は困らない」とは言えないだろう。
あるいは、現在の社会問題である「80-50問題」、つまり、80歳の親が50歳のニートの子供の面倒を見ている場合、ほとんどの親は困っている。
これを、最近話題にしている108式「不足を疑う」ではこうやる。
弟がニートであることはちゃんと認識した上で、「本当に弟は働いていないのか?」と疑う(疑い方のバリエーションはいろいろある)。
すると、弟は働き出す。
ただし、弟を働かせるために疑うのではうまくいかない。
単に疑うだけだ。
こんな話があったらしい。
ある人の老齢の母親は身体障碍者でほとんど外出出来ず、認知症でもあった。
そこで、その人が、「母は本当に身体が不自由なのだろうか?」と疑うと、すぐに元気になって、あちこち出かけるようになった。
続いて、「本当に認知症だろうか?私の勘違いではないのか?」と疑ったら、母親の頭がはっきりしてきた。
これを上の斎藤式に「いや、母が身体障碍者で認知症でも困っていない」と思うのは、普通の人には難しい。
こんな実話もある。
ある人が、預金が2000万円以上あり、経済的に困ってはいなかったが、1億円は欲しいと思っていた。
上の斎藤式だと、「それで何か困っているのか?」と言われたら、困っていないかもしれない。そして「困っていない」ということが分かったら、その心の余裕が作用し、預金が1億円になるかもしれない。
しかし、この人の預金が2000万円ではなく200万円だったら「困っていない」とは、なかなか思えない(思えたら良いのかもしれないが無理だ)。
この場合は、「本当に私の預金は2000万円(あるいは200万円)か?俺の間違いじゃないのか?1億円くらいあるのではないか?」と疑うと、1億円あることになり、それが現実化するかもしれない。
上の斎藤式が悪いというのではなく、これは、ある程度(かなり?)力がある人向けで、他にも、斎藤さんの教えは、力がある人には良いのだと思う。
私が政木和三さんに直接教わった教えに、
「私はお金なんてちっとも欲しくない。だけど、どんどん入って来るものは仕方がない」
「私は女なんてちっとも欲しくない。しかし、女がどんどん来るものは仕方がない」
というものがあるが、これも力がある人でないと実践は難しいかもしれない。
ここは、108「不足を疑う」式に、
「本当にお金が入ってきていないのか?私の勘違いで、どんどん入っているのではないか?」
「本当に女が来ていないのか?そう見えるのは私の間違いで、本当はどんどん来ているのでは?」
と疑った方が良いかもしれない。
ただし、くれぐれも言うが、疑うだけであり、引き寄せるためにやるのではない。
個人的には、デカルトの『方法序説』を読んで、正しく疑うことを学ぶと良いと思う。
私も若い頃、『方法序説』の文庫本をどこにでも持ち歩いて(スマホがなかった時代)読み、疑う感覚を掴んだことが役に立っている。
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()方法序説(ルネ・デカルト。岩波文庫)
()変な人が書いた成功法則(斎藤一人)
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