テレビドラマ化、映画化もされた、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』の面白さの根本には、笹沢佐保さんが、人間というものをよく知っていることがある。
アメリカを代表する現代作家カート・ヴォネガットが、「シェイクスピアは上手い作家ではなかったが人間をよく知っていた」と、エッセイに書いていたことを思い出す。
その『木枯し紋次郎』の主人公で、32歳の流れ者の渡世人(博打打ち)である紋次郎は、貧しい農家の出身で、10歳で家を出て以来、1人で生きている。
我流の喧嘩剣法ながら腕が立ち、毎日、早朝から夕暮れまで淡々と歩いて旅をすることで自然と鍛錬され、ガリガリに痩せてはいたが身体は強い。
生きるために身に付けた知恵も大したもので、同時に、強い個人的信念を持っていた。
そんな紋次郎が、感動的な引き寄せのようなことを行ったことが2度ある。
いずれもやり方は同じで、これほど心を打つからには、何かあるのだと思えるが、私はそれが確実なやり方だと感じる。それでうまくいかないはずがないと確信するのだ。

1つは、簡単に言えばこんな話だ(やや記憶違いがあるかもしれない)。
紋次郎は自分から争いごとを起こすことは決してない。良心がないわけではないが、義理もない他人を助けるために争うこともない。本心では助けたくても、そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないからだ。
だが、ある時、なりゆきで紋次郎は複数のヤクザ者と争い、相手の1人を切った際に、刀を折ってしまう。
切ったヤクザの仲間が他に十数人もいる中で、刀がないという致命的な状況に陥ったわけだ。
連中に見つかったら最後だ。
紋次郎はすぐに刀を手に入れる必要があったが、なかなか手に入らずに焦っていた。
そんな中、紋次郎は、たまたま、天才的な刀匠(刀剣を作る鍛冶師)の家にたどり着く。
その刀匠は、世間から身を引き、一世一代の名刀を制作中だった。
その制作中の刀は、紋次郎の刀の鞘にぴったりのサイズだったが、そんな名刀を売ってもらえるはずもないばかりか、その刀匠は紋次郎に、「あんたには売らない」とはっきり言う。自分の分身であるような刀を、渡世人の殺しの道具なんかにするわけにはいかないと、きっぱり言ったのだ。
紋次郎は何も言わなかった。そもそもが自分には全く不釣り合いな刀だ。
翌日、刀匠は、朝早くから仕事に入った。
その名刀の制作も大詰め(最終段階)に入っていた。
刀匠は休憩もせず淡々と仕事を続けた。
それを紋次郎は、初めから、離れた場所からじっと見ていた。
陽が落ちかけた頃、遂に名刀は完成する。
刀匠は、一時も離れずに見ていた紋次郎の所に歩いていくと、手を出し、紋次郎から刀を受け取る。
そして刀匠は仕事場に戻ると、紋次郎の折れた刀を柄から外し、そこに、出来たばかりの刀を取り付ける。
その作業が終わると、刀匠は紋次郎に黙って刀を渡し、紋次郎も黙って受け取る。
別れ際、刀匠は紋次郎に言う。
「お代はいりませんよ。持っていきなさい」
※『木枯らし紋次郎(二)女人講の闇を裂く』第2話「一里塚に風を断つ」より

これほどの引き寄せの神髄を見ることは、そうはないと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(二)~女人講の闇を裂く~(笹沢佐保)
(2)木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~(笹沢佐保)
(3)国のない男(カート・ヴォネガット)
(4)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)

夜の庭園
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「夜の庭園」
Kay

  
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