エゴ(自我。心)を、やっつけなければならない悪のように言う人がよくいる。
イエスが言った、
「わが後方に退けサタン」
と言ったサタン(悪魔)はエゴのことだ。
しかし、イエスのこの言葉は、悪いことをする子供に「おとなしくしろ」と言ったに過ぎず、「消えろサタン」とは言っていない。
真の自分である魂とエゴは親子のような関係で、魂はエゴをないがしろにしないし、魂はエゴを喜ばせようとすらしている。
パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』にも書かれているように、エゴは満足すれば消える(実際は変質すると言った方が正しいのだが)が、満足するとは安心するということだ。
それで、魂は、エゴに対し、叶えば安心して消える願望を与えるのだが、エゴは、それを自分で考えたと思う。
ところが、魂は、エゴが勝手に作った願いを利用し、そのままの形ではない場合が多いが、それを叶えて喜ばせることもある。
ちょっとややこしいが、上記のようなカラクリを明かした上で、個人的と思えるような願いを叶えることについて述べる。
もうかなり古い本だが、今も再販されロングセラーを続ける、合氣道家の藤平光一さんの『氣の威力』に、こんな話がある。
「重みは下にある」といった、当たり前のことを言えば、氣が出て、神秘な力が発揮される。
その実験として、1人が片腕を真っすぐに伸ばし「重みは下にある」と言い、別の人が、その腕を曲げようとする。
だが、腕を伸ばした人は「重みは下にある」と言うことで氣が出ているので、腕は曲がらないというわけだ。
まあ、伸ばした腕を曲げることは非常に難しいというトリックもあるのだが、実験の形を変えても、実際に、「重みは下にある」と言うことで力が発揮されていると感じる場合もある。ただし、そう多くもないと思う。
私は、研修会等で散々実験したクチだ(笑)。
非常に簡単に言えば、「重みは下にある」と言ったら力が出るカラクリは、そう言ったら氣が出るからではない。
そう言った者の頭の中に、「重みが下にあるのが当たり前であるのと同様、そう言ったら力が出るのが当たり前」という思考回路が出来上がることで、脳がアドレナリンを出すことで力が出るだけだ。
ところが、理屈屋は、重みは必ずしも下にあるとは思っていない。
例えば、初めて飛行機に乗ったら、離陸前の加速で、背中が椅子の背もたれに押し付けられる感じに驚くことが多いが、その場合は、重みは後ろの水平方向にある。要は、重みは加速度と反対方向にあり、万有引力と加速度が生み出す重さが同じであることが一般相対性理論で証明されている。
だが、この手は使える。もっと「まともな真理」を使えば良い。
インドのニサルガダッタ・マハラジは、究極の真理は「私は在る(存在する)」だと言ったが、この「私」が謎なのだよマハラジさん(笑)。この手も、頭が良い人には向かない場合が多い。頭が悪い人向けだ(個人的見解だ 笑)。
『天動のシンギュラリティ』という漫画で、イケメンで中二病の魔法使いカイトは、魔法を使う際に「エップル・スィ・ムオーヴェ」という呪文を唱えるが、これは、藤平光一さんやニサルガダッタ・マハラジが示した言葉よりずっと良い。
「エップル・スィ・ムオーヴェ」は、ガリレオ・ガリレイの有名な言葉(イタリア語)で、「それでも地球は動く」という意味だ。
これほどの魔法の呪文はそうはない。もちろん、日本語で良い。
別に、地球が動くことや地動説が絶対的真理と言いたいのではない。
地球が動くことは誰でも知っていると思っているだろうが、そんなこと、誰も信じていない。単にそう教えられただけで、自分で確認して納得した人などほとんどいない。
だから「地球は動く」ではなく「それでも地球は動く」という言い方に価値がある。
「それも地球は動く。同じく、私は大金持ちだ」と言えば、魂は、それを目標として採用するか、その言葉を利用して目標を作る。
よって、それが達成される、あるいは、それに似たことが達成される。
「それでも地球は動く。同じく、〇〇だ」と言えば、驚くほど叶う。
気に入れば採用すると良い。
『天動のシンギュラリティ』で、神秘的美少女、香々地アイリスは「エップル・スィ・ムオーヴェ」という言葉を知っていた。
だから奇跡も起こせるのだと私は思う。
偉大なり、ガリレオ・ガリレイ。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)氣の威力(藤平光一)
(2)あるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)
(3)アイ・アム・ザット ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(4)天動のシンギュラリティ(1) (大崎ミツル、長谷敏司他)
AIアート1169
「オンリー・シックスティーン」
Kay
イエスが言った、
「わが後方に退けサタン」
と言ったサタン(悪魔)はエゴのことだ。
しかし、イエスのこの言葉は、悪いことをする子供に「おとなしくしろ」と言ったに過ぎず、「消えろサタン」とは言っていない。
真の自分である魂とエゴは親子のような関係で、魂はエゴをないがしろにしないし、魂はエゴを喜ばせようとすらしている。
パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』にも書かれているように、エゴは満足すれば消える(実際は変質すると言った方が正しいのだが)が、満足するとは安心するということだ。
それで、魂は、エゴに対し、叶えば安心して消える願望を与えるのだが、エゴは、それを自分で考えたと思う。
ところが、魂は、エゴが勝手に作った願いを利用し、そのままの形ではない場合が多いが、それを叶えて喜ばせることもある。
ちょっとややこしいが、上記のようなカラクリを明かした上で、個人的と思えるような願いを叶えることについて述べる。
もうかなり古い本だが、今も再販されロングセラーを続ける、合氣道家の藤平光一さんの『氣の威力』に、こんな話がある。
「重みは下にある」といった、当たり前のことを言えば、氣が出て、神秘な力が発揮される。
その実験として、1人が片腕を真っすぐに伸ばし「重みは下にある」と言い、別の人が、その腕を曲げようとする。
だが、腕を伸ばした人は「重みは下にある」と言うことで氣が出ているので、腕は曲がらないというわけだ。
まあ、伸ばした腕を曲げることは非常に難しいというトリックもあるのだが、実験の形を変えても、実際に、「重みは下にある」と言うことで力が発揮されていると感じる場合もある。ただし、そう多くもないと思う。
私は、研修会等で散々実験したクチだ(笑)。
非常に簡単に言えば、「重みは下にある」と言ったら力が出るカラクリは、そう言ったら氣が出るからではない。
そう言った者の頭の中に、「重みが下にあるのが当たり前であるのと同様、そう言ったら力が出るのが当たり前」という思考回路が出来上がることで、脳がアドレナリンを出すことで力が出るだけだ。
ところが、理屈屋は、重みは必ずしも下にあるとは思っていない。
例えば、初めて飛行機に乗ったら、離陸前の加速で、背中が椅子の背もたれに押し付けられる感じに驚くことが多いが、その場合は、重みは後ろの水平方向にある。要は、重みは加速度と反対方向にあり、万有引力と加速度が生み出す重さが同じであることが一般相対性理論で証明されている。
だが、この手は使える。もっと「まともな真理」を使えば良い。
インドのニサルガダッタ・マハラジは、究極の真理は「私は在る(存在する)」だと言ったが、この「私」が謎なのだよマハラジさん(笑)。この手も、頭が良い人には向かない場合が多い。頭が悪い人向けだ(個人的見解だ 笑)。
『天動のシンギュラリティ』という漫画で、イケメンで中二病の魔法使いカイトは、魔法を使う際に「エップル・スィ・ムオーヴェ」という呪文を唱えるが、これは、藤平光一さんやニサルガダッタ・マハラジが示した言葉よりずっと良い。
「エップル・スィ・ムオーヴェ」は、ガリレオ・ガリレイの有名な言葉(イタリア語)で、「それでも地球は動く」という意味だ。
これほどの魔法の呪文はそうはない。もちろん、日本語で良い。
別に、地球が動くことや地動説が絶対的真理と言いたいのではない。
地球が動くことは誰でも知っていると思っているだろうが、そんなこと、誰も信じていない。単にそう教えられただけで、自分で確認して納得した人などほとんどいない。
だから「地球は動く」ではなく「それでも地球は動く」という言い方に価値がある。
「それも地球は動く。同じく、私は大金持ちだ」と言えば、魂は、それを目標として採用するか、その言葉を利用して目標を作る。
よって、それが達成される、あるいは、それに似たことが達成される。
「それでも地球は動く。同じく、〇〇だ」と言えば、驚くほど叶う。
気に入れば採用すると良い。
『天動のシンギュラリティ』で、神秘的美少女、香々地アイリスは「エップル・スィ・ムオーヴェ」という言葉を知っていた。
だから奇跡も起こせるのだと私は思う。
偉大なり、ガリレオ・ガリレイ。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)氣の威力(藤平光一)
(2)あるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)
(3)アイ・アム・ザット ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(4)天動のシンギュラリティ(1) (大崎ミツル、長谷敏司他)
AIアート1169
「オンリー・シックスティーン」
Kay
人気ランキング参加中です |