サッカー選手になりたいとか、画家になりたいという願望は魂(あるいは潜在意識)から来るのであり、願望を起こすのはエゴ(自我)の役目ではない。
だから、本田圭佑のようなサッカー選手が、子供の時に「サッカー選手になろう」と思ったのは、魂からの声が聴こえたのであって、本田圭佑のエゴが「僕はサッカー選手になる」と思い、そして、それを信じたからとか、思い続けたからサッカー選手になれたわけではない。

それを、本音ではチヤホヤされたいからといった理由で、「サッカー選手になりたい」とか「ミュージシャンになりたい」とか「有名なイラストレーターになりたい」と思っても、それが実現することはない。

だが、そう言っておいて何だが、エゴに全く選択権がないわけではない。
魂を敬うことで・・・つまり、魂がエゴより上位であることを認め、退くことで願いは叶う。
魂がエゴより上位であることを認めるとは、実際はどうなるかは魂にまかせるということだ。
魂は、敬ってくるエゴを見捨てるようなことはしない。
では、具体的にどうするかだが、願いは既に叶っていることを、信じる必要はないが、「叶ったらしい」と思うことだ。
「ビックリだが、もう叶っている」でも良い。
そして、後は魂に(神様に)まかせて、放っておく・・・出来れば忘れることだ。
忘れるほど早く叶う。
これは真実である。
次回は、もっとピンとくるような事例を出す。
だが、やり方はこの通りだ。

このレベルまで来ると、そのものズバリを書いた書籍というものはない。
いろんな本の中から、共通して書かれている真理を見出すしかない。
怪しい本の中にも、いくらかの真理は含まれているものである。
とはいえ、引き寄せに関する真理は、『福音書』や『法華経』の中に多く書かれているように思う。

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(1)ヒマラヤ聖者の生活探究 第5巻(ベアード.T.スポールディング)
(2)秘法ヨガ入門(藤本憲幸)
(3)21世紀・生命の科学 新アダムスキー全集 3(ジョージ・アダムスキー)
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(5)新約聖書 福音書 (岩波文庫)
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