そんなに難しいことでもないレベルから、壮大なことまで、自分にそれが出来ると信じられない人がいる。
自分が人並みに働いている姿が全く想像出来ないというニートに会ったことは何度もあるし、やれば可能と思える仕事に対し「自分には出来ないのではないか」と思ってしり込みする人もいる。
私も、プログラマーの駆け出しの頃は、未経験の仕事ばかりだから、「本当に自分に出来るのだろうか?」と不安になったが、退路を断って、やるしかない状況に自分を追い込むと、結局は「さすが俺」という結果になった(笑)。
とはいえ、自分の実力をはるかに超えた無謀な仕事を見栄で引き受けて、悲惨というか、無様な結果になった人もよく見た。
ただ、そんな場合だって、本当に出来ると思えば、やり遂げるチャンスはあったと思う。
実は、私も無謀な仕事を受けるのは好きだ(笑)。

つまるところ、大切なことは、自分には出来ると信じることであるが、安っぽい映画のように「君なら出来る」だのと人に言われても、ほとんど何の力にもならないし、「僕には出来る」と自分に繰り返し強く言い聞かせても、それで自信が上がることは、まあない。

それで、こう考えると良い。
たとえば、何かのコンテストに応募したいが、レベルが高いコンテストで、とてもではないが、入選出来るとは思えない。
あるいは、学園のマドンナと言われる美少女を好きになって、そのマドンナと付き合いたいが、せいぜいが普通でしかない自分には高嶺の花過ぎて、とてもうまくいくとは思えない。
そんな状況だとする。
そんな時、「可能性はある」と思うのだ。
別に、「必ずうまくいく」と思えと言うのではない。
単に、「可能性はある」と思うだけだ。
それなら抵抗はないと思う。
可能性が全くないと考える方が不自然だからだ。
そして、こんな話を考えると良い。
よく聞く話かもしれないが、腕時計をバラバラに分解し、それをプールの中にバラまき、プールに水流を起こしたら、偶然に元の腕時計が組み立てられる可能性は、ほぼゼロだが、完全にゼロではない。
つまり、可能性はある。
あるいは、猿が紙にインクをなすり付けたら、百科事典や名作文学が偶然に出来上がる可能性だって、ゼロではない。
これらと比べたら、どんなことだって大いに可能性があると思える。
今日、どこかの大金持ちが気まぐれであなたに十億円くれる可能性なんて、あまりにありふれているほどだ(笑)。

「可能性はある」
それだけ認識出来れば、可能性はどんどん上がっていく。

私は、上の腕時計や猿の名作文学ほどではないが、世間的には絶対に不可能と思われることを、子供の時に簡単に起こした。
満天の星空の中から、何の手掛かりもなく一発で土星を特定したり、以前見たテレビ番組を、その時その場で放送させたりだ。
初めて歩く道を歩いていて、私が好きなA子ちゃんが来ると思ったら、やはり道の向こうからやってくる。
実のところ、その気になれば、自分に出来ないことはないと思った。

だから、あなたが望む程度のこと(と言っては失礼だが)なら、実現する可能性など、いくらでもある。
今、自民党総裁選で、出馬はしていても、当選は全く無理と言われている候補者もいる。
しかし、どの候補だって、勝てる可能性はある。
そう思い続けさえすれば、いかに過小評価される候補でも、大逆転勝利となるのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)可能思考(ロバート・H. シュラー。夏目志郎訳)
(2)富と幸福の探し方(ラッセル・コンウェル)
(3)「ラットレース」から抜け出す方法(アラン・ワッツ)
(4)アルケミスト 夢を旅した少年(パウロ・コエーリョ)

残暑の候
AIアート
「残暑の候」
Kay

  
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