夏と言えば、『アリとキリギリス』の話を思い出す人も多いかもしれない。
『アリとキリギリス』は、イソップ寓話の中の1つであるが、イソップ寓話の成り立ちについて、本当のところは分かっていないらしい。
とはいえ、長い歴史の間(有力説では紀元前6世紀から)、語り伝えられ、深い真理が込められていると考えられている。
『アリとキリギリス』のオリジナルのお話はこうだ。
夏に汗を流して懸命に働くアリを、キリギリスは馬鹿にし、自分は遊んで暮らしていたが、冬になると、アリは夏に働いた蓄えがあったが、キリギリスは食べるものもなく飢える。そこで、キリギリスがアリのところに施しを乞いに行くが、アリはキリギリスを見捨て、キリギリスは死ぬ。
このお話は、サマセット・モームやウォルト・ディズニーはじめ、多くの人が、アリがキリギリスに慈悲を示してキリギリスを助けるよう改変している。
サマセット・モームの『アリとキリギリス』では、キリギリス的な男が、資産家の女性と結婚し、大金持ちになるというオチになっている。
最近では、歳を取っても資産がなく、年金も僅かで生活が出来ないという人に対し、「若い時から貯金をしたり、年金を多くもらえるよう工夫しない者が悪い」と言う者が多く、岸田総理も、国会で、直接的にではないが、そんな意味の発言をしていたのを私も聞いた。
つまり、岸田総理は「努力をした者とそうでない者が同じ条件になるわけではない」といったことを述べていたのである。
要するに、アリ的に生きることを美徳とすべきというわけだ。
『アリとキリギリス』のオリジナルの話では、キリギリスは死に、アリは安全に過ごした。
しかし、この続きがあるとすれば、アリも悲惨なことになるだろう。
問題の本質は、アリは、冬に餓死する不安から真面目に働いたことと、キリギリスがアリを見下したことだ。
それに、アリの方だってキリギリスを馬鹿にしていたのだろう。
不安のために働くと、大抵は失敗する。
また、いかなる意味でも、誰かを見下したら、悪いものが自分に帰ってくる。
アリとキリギリス、どっちもどっちだ。
懸命に働く運命にあれば、働くことは避けられない。
一方、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない。
遊び惚ける運命なら、遊び惚けるしかない。
キリギリスに出来る仕事なんてない。
そんなものであると思い、相手が、働いているからといって、あるいは、遊んでいるからといって見下さず、また、明日を思い煩わず、超然としていることだ。
それが引き寄せの正しいやり方である。
敵は不安である。遊び惚けている者は、不安がないように見えて、内心は怯えている。だから、キリギリスのようにアリを馬鹿にする。
不安のない者は、他者を見下したりしない。
コリン・ウィルソンは初めアリで、毎日、嫌々ながら肉体労働をしていたが、毎夜、ウイスキーを飲みながら文学を読むことで楽しくなれた。
あなたも、悪い状況でも楽しまないといけない。
次に、ウィルソンはヒッピーになった。キリギリスになったわけだが、他人を見下す暇もなく、好きなことをやっていた。
そうしたら、世界的作家になっていた。
スーフィーの確言にあるように、「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」である。
ラクダとは、誰かを馬鹿にしたり、不安になったりする心のことだ。
心がさ迷わないよう、自分で工夫することだ。
本当の引き寄せとは、それだけのことである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)モ-ム短篇選 (下) (岩波文庫) ※蟻とキリギリス含む
(2)イソップ寓話集 (岩波文庫)
(3)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
AIアート1115
「古い都市」
Kay
『アリとキリギリス』は、イソップ寓話の中の1つであるが、イソップ寓話の成り立ちについて、本当のところは分かっていないらしい。
とはいえ、長い歴史の間(有力説では紀元前6世紀から)、語り伝えられ、深い真理が込められていると考えられている。
『アリとキリギリス』のオリジナルのお話はこうだ。
夏に汗を流して懸命に働くアリを、キリギリスは馬鹿にし、自分は遊んで暮らしていたが、冬になると、アリは夏に働いた蓄えがあったが、キリギリスは食べるものもなく飢える。そこで、キリギリスがアリのところに施しを乞いに行くが、アリはキリギリスを見捨て、キリギリスは死ぬ。
このお話は、サマセット・モームやウォルト・ディズニーはじめ、多くの人が、アリがキリギリスに慈悲を示してキリギリスを助けるよう改変している。
サマセット・モームの『アリとキリギリス』では、キリギリス的な男が、資産家の女性と結婚し、大金持ちになるというオチになっている。
最近では、歳を取っても資産がなく、年金も僅かで生活が出来ないという人に対し、「若い時から貯金をしたり、年金を多くもらえるよう工夫しない者が悪い」と言う者が多く、岸田総理も、国会で、直接的にではないが、そんな意味の発言をしていたのを私も聞いた。
つまり、岸田総理は「努力をした者とそうでない者が同じ条件になるわけではない」といったことを述べていたのである。
要するに、アリ的に生きることを美徳とすべきというわけだ。
『アリとキリギリス』のオリジナルの話では、キリギリスは死に、アリは安全に過ごした。
しかし、この続きがあるとすれば、アリも悲惨なことになるだろう。
問題の本質は、アリは、冬に餓死する不安から真面目に働いたことと、キリギリスがアリを見下したことだ。
それに、アリの方だってキリギリスを馬鹿にしていたのだろう。
不安のために働くと、大抵は失敗する。
また、いかなる意味でも、誰かを見下したら、悪いものが自分に帰ってくる。
アリとキリギリス、どっちもどっちだ。
懸命に働く運命にあれば、働くことは避けられない。
一方、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない。
遊び惚ける運命なら、遊び惚けるしかない。
キリギリスに出来る仕事なんてない。
そんなものであると思い、相手が、働いているからといって、あるいは、遊んでいるからといって見下さず、また、明日を思い煩わず、超然としていることだ。
それが引き寄せの正しいやり方である。
敵は不安である。遊び惚けている者は、不安がないように見えて、内心は怯えている。だから、キリギリスのようにアリを馬鹿にする。
不安のない者は、他者を見下したりしない。
コリン・ウィルソンは初めアリで、毎日、嫌々ながら肉体労働をしていたが、毎夜、ウイスキーを飲みながら文学を読むことで楽しくなれた。
あなたも、悪い状況でも楽しまないといけない。
次に、ウィルソンはヒッピーになった。キリギリスになったわけだが、他人を見下す暇もなく、好きなことをやっていた。
そうしたら、世界的作家になっていた。
スーフィーの確言にあるように、「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」である。
ラクダとは、誰かを馬鹿にしたり、不安になったりする心のことだ。
心がさ迷わないよう、自分で工夫することだ。
本当の引き寄せとは、それだけのことである。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)モ-ム短篇選 (下) (岩波文庫) ※蟻とキリギリス含む
(2)イソップ寓話集 (岩波文庫)
(3)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)
(4)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省翻訳)
AIアート1115
「古い都市」
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