アメリカの英雄と言えば、ジョージ・ワシントンとエイブラハム・リンカーンだと言っても、そう文句は言われないと思う。
この2人は民主主義を重んじたことで共通しているが、もう1つ、40歳くらいまで、とんでもないロクデナシだったことでも共通している。
中国出身のアメリカの女性作家チン・ニンチュウの、ジョージ・ワシントンがなぜ立派になれたかの話が興味深かった。
ワシントンは元々、地位と名誉に固執する見栄っ張りで、能力もないのに金とコネで軍司令官になり、大勢の兵士を死なせてしまった。
そこで、ワシントンは宿命に従うことに決めたのだと言う。
彼の真の宿命と思えることは、それまでの運命の流れから言って、本物の軍人として戦い、アメリカをイギリスから独立させることであったとニンチュウは言う。
しかし、このニンチュウの説明は、やや明瞭性がない。
実際は、ワシントンは自我を退かせたのだ。確かに、そのためには、自分の責任で大勢の兵士を殺してしまった後悔が大きな原因にはなっただろう。
その後悔から、ワシントンは、地位と名誉を欲しがる自我を退かせ、忘我、没我、無我、無私になったのだ。
ニンチュウは、ワシントンは、軍人として戦うという自分の宿命を受け入れたと言うが、ワシントンはそんなふうに考えて決めたのではない。
自我が退くことで、勝手にそうなったのだ。
我々も、自我(=心=思考=左脳)が執着する目標を手放すことで、自我を退かせることが出来る。
世の中では、「自分の本当の目標を見つけよう」などと言う者がいるが、そんなもの「自我には見つけられない」のだ。それは魂にまかせておけば良いのである。

だが、ワシントンは、自我を退かせることは自分がやった・・・と言うより、自分が許可したのだ。
つまり、強制的に自我を叩きのめされたわけではない。
世の中には、外部からの力により、強制的に自我の望みを奪われることで、自我が消えたようになる人がいる。
そんな人は、やはり超人的な力を発揮することがあるが、非常に歪んでおり、世の中、あるいは、自分に害悪をもたらす場合が多い。
芥川龍之介の『地獄変』の天才画家、良秀のようにだ。

熱望はするが、浅はかである望みを捨てれば良い。
昔のテレビCMで、子供が自分の夢を語るというものがあった。
「人々を感動させる歌手になる」
「セリエAに入って活躍するサッカー選手になる」
それは、ほとんどの人にとっては浅はかな夢であり、ワシントンが望んだ地位と名誉みたいなものなのだ。
しかし、世の中では、そんな浅はかな夢を称賛する。
世の中の人をそんなふうに(浅はかな夢を称賛するように)しておけば儲かる者がいて、そんな連中が愚民を煽って操っているのだ。
世間で称賛されるような夢を叶えた人というのは、自分では何も考えていない。
ある有名なサッカー選手が、小学生の時に立派なサッカー選手になるなんてことを文集か何かに書いたという話があるが、それはたまたまで何の意味もない。まあ、先生に、そんなふうに書かされたとかいった、なりゆきで書いただけだろう。書いただけなら、他にも立派なことを書いた子はいっぱいいたはずだ。
しかし、ビジネスで儲ける連中は、「そうやって目標を持つことが大切です」などと言うのだ。

どうしても欲しい、どうしてもなりたいと心が言うものを捨てるのだ。
だが、それは心が自在に出来ることではない。
心がむりやり捨てた気になっても駄目だ。
その捨て方が難しい。
事業家でセールスマンの夏目志郎さんの場合は、神様にお願いした。
失敗続きで散々な人生であった35歳の時、夏目さんは神様にこう祈った。
「これまでの人生の失敗は私の責任です。でも、これからの人生はあなたに責任を取って欲しい。これはという仕事を下さい」
すると翌日、百科事典の会社から、セールスマンとしてスカウトが来たのだ。
夏目さんは、そのことを、誰が何と言おうと、「神様の奇跡」だと断言している。
時々紹介するが「神様の奇跡が起こる」と唱えるのは非常に良い手と思う。そこに自我はなく、神様への服従があるからだ。神様とは、遠いところにいる恐い老人ではなく、手足よりも身近にいる魂である。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)地獄変・偸盗 (新潮文庫) (芥川龍之介)

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