引き寄せや宗教の教えにすがって現実逃避する人がいると言われる。
それを非難する一方、「そうやって現実逃避しても良いんだ」と言う人もいる。
しかし、そもそも、どうやろうと、現実逃避など出来ない。

たとえば、分かり易いことを言えば、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、阿弥陀仏という仏様が助けてくれるという教えに逃避するとする。
だが、ほとんどの人は、そうやっても苦しいのだから、少しも逃避出来ていない。
ところが、「南無阿弥陀仏」を唱えると阿弥陀仏が助けてくれるという話に本当に気楽さを感じるなら、実際に助けてもらえる。
もちろん、現代人にはあまり向かないやり方だが、『歎異抄』を読むと、親鸞が作ったストーリーが素晴らしいので、その気になってしまう人が時々いる。そんな人は何をやってもうまくいく。

本当に気楽になれる引き寄せの本があれば、それを読めば、別に何もしなくてもうまくいく。
宗教も、昔はそんなものだったのだと思う。5000年くらい前は(笑)。
従って、引き寄せの本にしろ、宗教にしろ、読んだり、教義を行ったりして、気楽さを感じないなら、それは全部、あなたに合ってないと私は思う。
そして、宗教をやっている人の「私はこれで安らぎを得ました」なんてのは、ほとんど嘘としか感じないのだ。
だが、本当の安らぎを感じるなら、何の苦労もなくなる。即座に。まあ、傍目には苦労に見えることもあるかもしれないが。

「バシャール」の話は良いところもあるが、「ワクワクすれば良くなる」のワクワクは誤訳らしい。
確かに、「ワクワク」と訳した原文のexcitementには「興奮」「動揺」「激高」という意味があるが、精妙さの中の高エネルギー状態のことをexcitementと言ったという話があり、最高のエネルギー状態である超高波動状態では、最高に静かであるのだ。
独楽(こま)が最高の回転状態であるほど静かに見えるようなものだ。
だから、「気楽であれば良くなる」「楽天的であればうまくいく」と言うのが、少なくとも「ワクワクすればうまくいく」より正しいだろう。
そういえば、私の知り合いの芸術家のチャネラーを通して、宇宙人さんはよく「おだやかでいなさい」と言っていたものだ。
宗教や、そこから生まれた芸術の本来の目的は、おだやかにさせることだった。
しかし、金や権力が絡ませるには興奮が必要になる。それが、宗教や芸術がおかしくなった原因と思う。

『マスターの教え』で、マスターは初めて入った店で、請求書にイニシャルを書いただけで通用したし、『マジック・ストーリー』の、文無しの画家となると、金は全くないのに、借りた小切手に金額とサインを書いただけでOKだった。
彼らは、限りなく気楽にそうしたからだ。
あなただって、限りなく気楽に彼(彼女)を誘えれば、いくらでもついてくるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マスターの教え(ジョン・マクドナルド)
(2)マジック・ストーリー(フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイ )
(3)秘法ヨガ入門(藤本憲幸)
(4)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)
(5)オプティミスト : 楽観的に生きるということ(ヘレン・ケラー)
(6)歎異抄(梅原猛訳)

生き物の棲み処
AIアート1106
「生き物の棲み処」
Kay

  
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