至高体験とは、自分が万物と一体となる体験で、忘我、没我、無私、無我と言え、今で言うゾーンとも近いと思う。
W.B.イェイツは、「芸術の目的はエクスタシー」と言ったらしいが、エクスタシーとはまさに至高体験のことで、ロマン・ロランは同じことを大洋感情と呼んでいたようだ。
さて、コリン・ウィルソンは、至高体験を起こす鍵は「集中の後の弛緩」と考えていた。
集中と緊張は違うものだが、ウィルソンは、集中を起こさせる緊張は良いものと考えていたはずだ。
緊張を強いられた後、緊張が解かれた時に至高体験は起こり易い。
たとえば、ウィルソンはこんな話をしている。
ウィルソンは、旅行中、幼い自分の娘が行方不明になり、かなりの時間、激しい緊張状態にあったが、娘が無事に見つかり、一気に緊張が解けた時に至高体験を感じた。そして、その時のことを思い出すと、いつでも至高体験に入ることが出来るようになったそうだ。
ウィルソンがセミナーで教えていた、疑似至高体験に入る方法は、ペン先などに十秒ほど強く集中し、一気に緊張を解くことを何度か繰り返すことだった。それで、至高体験に近い感覚を味わうことが出来る。

ウィルソンは、至高体験を通じ、ある種の超人になった男について紹介している(多分、『右脳の冒険』に書かれている)。
その男の妻は、原因は忘れたが、意識不明の状態に陥った。
すると彼は、妻が意識を回復することを願い、ずっと妻を観察し続けた。
どのくらいの期間を要したか分からないが、妻が意識を回復した時、彼は長い緊張から一気に解放され、至高体験を起こしたが、それで不可思議な能力を持つようになった。
体内からの不思議な信号を感じるようになり、それに従えば何でもうまくいくようになったのだ。
その信号は創造性な活動にも関係し、それにより、芸術、ビジネス、その他、あらゆる分野で高い能力を発揮することが可能と思う。

その男が妻の様子を観察していたことは、まさに今今メソッド(今、この瞬間を感じる)だ。
何せ、妻の「今の」状態を瞬間瞬間感じているのだからだ。
昨日の妻でも、明日の妻でもない。
1秒前の妻でも、1秒後の妻でもない。
全く今の妻である。
これが今今メソッドでなくて何だろう?

今今メソッドでは、集中の後の弛緩は必要ない。
上の男の例で言えば、妻の意識の回復などに関係なく、至高体験のような意識状態になるはずだ。
つまり、妻の意識は回復していないまま、至高体験らしい至福感や安らぎを感じ、それによって妻は回復する(しない場合もあるが)。

実は、ウィルソンも、今今メソッドのような体験をしている。
ヒッチハイクをしてトラックに乗ったのだが、そのトラックのエンジンが異音を立て始めた。
原因が分からなかったので、ウィルソンとトラック運転手は、その異音にずっと集中し続けた。
すると、ウィルソンらの心はクリアーになり、エネルギーに満ちた。
これは至高体験だ。
つまり、弛緩は必要ない。
必要なことは、今の今を感じることだけだ。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(2)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(3)至高体験(コリン・ウィルソン)

(4)イェイツ詩集(対訳)(W.B.イェイツ)
(5)まだらの鳥(W.B.イェイツ)

(6)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(7)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)

湖畔の花
AIアート1096
「湖畔の花」
Kay

  
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