私は、小学生の時には意識しなかったが、中学生くらいになると、自分がまともな方法では生きていけないことを、なんとなく自覚するようになった。
勉強は出来ないし、スポーツとか楽器とかが出来るわけでもない。
それなら、もう超能力しかない(笑)。
超能力とは、精神で物質を支配することだが、それなら、スプーン曲げみたいなことが超能力の代表みたいに感じる。
そうではなく、精神で物質界を支配することを考えたので、一般で言う超能力者ではなく、魔法使い、大師(マスター)、導師のような言い方が正しいのだが、当時はそういった言い方を知らないので、とりあえず魔法使いとした。
さっき述べた通り、その能力は物質世界の支配なので、今で言う引き寄せと同じだ。
伝統的な西洋魔法の定義によれば、魔法とは「精神に自在に変革を起こす」ことであるが、それが実に的確な定義であることはかなり後になって分かった。しかし、直観的には中学生の時に分かったのである。
私が中学生の時に考えた魔法使いになる方法は「常識に反することを考える」ことで、これも正解だった。
これを思いついた時は、躍り上がって喜んだのである。
現在もよく引用される言葉に、昭和の大評論家、竹村健一さんの「日本の常識は世界の非常識」というものがある。平凡な人間でも、これには納得すると思う。
だが、実際は「世界の常識も非常識」なのだ。
逆に、日本の常識の中にも宇宙の常識がある。
よって、目指すべきは非常識ではなく超常識である。
これは、不自然(異常。アブノーマル)ではなく、超自然(スーパーネイチャー)を目指すようなものだ。
しかし、やることは非常に容易い。
超常識や超自然がどこかにあり、それを手に入れなければならないとしたら大変だが、それは自分の中にある。
つまり、魔法使いや超能力者になるのに努力はいらない。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に、大師(マスター。魔法使いのようなもの)になるのに修行する必要はないと書かれている通りだ。
あの頭ガチガチのデカルトですら、自分の中に神が居ることは認めていたのだが、彼は超常識にならなかったので、「われ思う、ゆえにわれあり」に留まったのだと思う。
魔法があれば現実逃避で良いかというと、それは変な話なのである。
現実を実験場としなければ、何のための魔法かである。
魔法使いは現実に強く、言ってみれば引き寄せが自在である。
私が最初の仕事にセールスマンを選んだのも、一番簡単に魔法の実験が出来るからだ。
それで、性格的には全く向いていなかったが、即座にセールスコンテストで優勝するなど、良い実験成果を収めた。
だがまあ、やはり向いておらず、面白くなかったのですぐに(と言っても2年はダラダラやっていた)辞めた。
私は巨万の富を掴むタイプではなく、月野うさぎ(セーラームーン)のように楽をすることが趣味なので、その線でいった(笑)。
魔法使い、超能力者、引き寄せマスター、大師、導師になる方法は特にない。
あえていえば「魔法使いになる」と決めることである。
中島敦の『名人伝』(『列子』の中に同様の話がある)が、魔法使いになるプロセスみたいなものである。
弓の名人を目指す男が、まずは、小さな点を凝視する修行をする(本当は瞬きをしないことから始める)。
その修行を十分にやれば、それで師と同等になった。
その修行を教えた師も、この弟子が、それほど熱心にやるとは思わなかったのかもしれない。
しかし、師は、自分達など全く及ばない名人がいると言い、弟子のその男は、さっそく、その超名人を訪ねる。
この超名人こそが、超常識、超自然を体現した人で、弓を使わずに空の鳥を落とした。
超名人の弟子になったその男がどんな修行をしたかは書かれていないが、彼もまた超名人になる。
しかし、どんな修行をしたかというのではなく、修行など必要ないことが分かる・・・というか、分からないと、この作品が分かっていない。
彼は自我(=思考=心)を消した・・・正確には、自我が控えるようになったのである。
自我が大人しくなったと言って良いが、別に老人ボケ状態になったのではなく、魔法使いにだって怒りっぽい者やスケベな者もいる。だが、すぐに静まるのである。
その超名人の彼は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」と言う。
思考しないから区別の意味がない。だがまあ、箸と茶碗と湯飲みの区別はするだろうから、全く思考や自我がないわけではない。ここらを極端に解釈する馬鹿が多くて困る。
こんな良いヒントが書かれている。
「彼は呼吸しているかどうか分からない」
別に修行ではないが、そのようにすれば良いのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)李陵・山月記 弟子・名人伝(中島敦)
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(3)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(4)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)※ウェルズの自伝的小説
(5)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)

AIアート1031
「絡みつく」
Kay
勉強は出来ないし、スポーツとか楽器とかが出来るわけでもない。
それなら、もう超能力しかない(笑)。
超能力とは、精神で物質を支配することだが、それなら、スプーン曲げみたいなことが超能力の代表みたいに感じる。
そうではなく、精神で物質界を支配することを考えたので、一般で言う超能力者ではなく、魔法使い、大師(マスター)、導師のような言い方が正しいのだが、当時はそういった言い方を知らないので、とりあえず魔法使いとした。
さっき述べた通り、その能力は物質世界の支配なので、今で言う引き寄せと同じだ。
伝統的な西洋魔法の定義によれば、魔法とは「精神に自在に変革を起こす」ことであるが、それが実に的確な定義であることはかなり後になって分かった。しかし、直観的には中学生の時に分かったのである。
私が中学生の時に考えた魔法使いになる方法は「常識に反することを考える」ことで、これも正解だった。
これを思いついた時は、躍り上がって喜んだのである。
現在もよく引用される言葉に、昭和の大評論家、竹村健一さんの「日本の常識は世界の非常識」というものがある。平凡な人間でも、これには納得すると思う。
だが、実際は「世界の常識も非常識」なのだ。
逆に、日本の常識の中にも宇宙の常識がある。
よって、目指すべきは非常識ではなく超常識である。
これは、不自然(異常。アブノーマル)ではなく、超自然(スーパーネイチャー)を目指すようなものだ。
しかし、やることは非常に容易い。
超常識や超自然がどこかにあり、それを手に入れなければならないとしたら大変だが、それは自分の中にある。
つまり、魔法使いや超能力者になるのに努力はいらない。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に、大師(マスター。魔法使いのようなもの)になるのに修行する必要はないと書かれている通りだ。
あの頭ガチガチのデカルトですら、自分の中に神が居ることは認めていたのだが、彼は超常識にならなかったので、「われ思う、ゆえにわれあり」に留まったのだと思う。
魔法があれば現実逃避で良いかというと、それは変な話なのである。
現実を実験場としなければ、何のための魔法かである。
魔法使いは現実に強く、言ってみれば引き寄せが自在である。
私が最初の仕事にセールスマンを選んだのも、一番簡単に魔法の実験が出来るからだ。
それで、性格的には全く向いていなかったが、即座にセールスコンテストで優勝するなど、良い実験成果を収めた。
だがまあ、やはり向いておらず、面白くなかったのですぐに(と言っても2年はダラダラやっていた)辞めた。
私は巨万の富を掴むタイプではなく、月野うさぎ(セーラームーン)のように楽をすることが趣味なので、その線でいった(笑)。
魔法使い、超能力者、引き寄せマスター、大師、導師になる方法は特にない。
あえていえば「魔法使いになる」と決めることである。
中島敦の『名人伝』(『列子』の中に同様の話がある)が、魔法使いになるプロセスみたいなものである。
弓の名人を目指す男が、まずは、小さな点を凝視する修行をする(本当は瞬きをしないことから始める)。
その修行を十分にやれば、それで師と同等になった。
その修行を教えた師も、この弟子が、それほど熱心にやるとは思わなかったのかもしれない。
しかし、師は、自分達など全く及ばない名人がいると言い、弟子のその男は、さっそく、その超名人を訪ねる。
この超名人こそが、超常識、超自然を体現した人で、弓を使わずに空の鳥を落とした。
超名人の弟子になったその男がどんな修行をしたかは書かれていないが、彼もまた超名人になる。
しかし、どんな修行をしたかというのではなく、修行など必要ないことが分かる・・・というか、分からないと、この作品が分かっていない。
彼は自我(=思考=心)を消した・・・正確には、自我が控えるようになったのである。
自我が大人しくなったと言って良いが、別に老人ボケ状態になったのではなく、魔法使いにだって怒りっぽい者やスケベな者もいる。だが、すぐに静まるのである。
その超名人の彼は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」と言う。
思考しないから区別の意味がない。だがまあ、箸と茶碗と湯飲みの区別はするだろうから、全く思考や自我がないわけではない。ここらを極端に解釈する馬鹿が多くて困る。
こんな良いヒントが書かれている。
「彼は呼吸しているかどうか分からない」
別に修行ではないが、そのようにすれば良いのである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)李陵・山月記 弟子・名人伝(中島敦)
(2)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(3)あなたも金持ちになれる(ジョセフ・マーフィー)
(4)ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)※ウェルズの自伝的小説
(5)誰がかまうもんか?!(ラメッシ・バルセカール)

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「絡みつく」
Kay
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