日本では、特技が無いとか、特技を聞かれたら一番にスキーだの楽器演奏だのを上げるのが普通だというのが異常であると思う。
スキーや楽器も特技だろうが、それは専門的な特技の次に上げるべきものだ。
専門的な特技とは、プロであること、つまり、それで食える特技である。
専門の特技がないことは悲劇だ。
日本の政治家は素人政治家が多い。
アメリカの政治家は、弁護士や法務博士である場合が多い。
バイデンやオバマ、あるいは、ペンス前副大統領といった、あまりインテリに見えない印象がある彼らが全員、弁護士で法務博士だ。
ハリス副大統領も弁護士ではないが法務博士で、大学教授や検事をしていた。
ところが、ほとんどの日本の首相が法学士や経済学士である。
国会議員の米山隆一さんのように医師(医学博士・東大)で弁護士というのは凄いが、日本の政治家では弁護士資格を持っているだけで特殊なのだから基礎がないのだと思う。
ドナルド・トランプのように、70歳で大統領になるまで政治経験がなかったというのは異例中の異例だが、大事業家という特殊な能力は、根本的な能力や資質があれば、むしろ政治で極めて有益であることが示されたのだと思う。
日本のサラリーマンは専門や特技がない者が多い。
そもそも、専門や特技を持たなければいけないという意識が非常に希薄なように思われるが、これは異常なことと思う。
日本では昔から、ゼネラリストがスペシャリストより上という奇妙な観念があるように思うが、スペシャリストでなければゼネラリストにはなれない。
国家、あるいは企業自体が、国民に高度な専門や特技を持たせないようにしているようにも思う。
多くの企業では、社員を全然畑違いの部署に定期的に回すようなことが行われているが、これを総合力を持たせるための良いことのように言うことがよくある。しかし、それはとんでもなく馬鹿げたことであり、それをやるなら、同じ職種の別の企業に勤めることが良いのだが、日本では転職が少ないので、そのような奇妙なやり方で、最低限のフレキシブル(柔軟性)さを身に付けさせようとするのだろう。
権力者にとって、衆生が専門的特技を持たないことは都合が良い。なぜなら、そんな何も出来ない者は奴隷に出来るからだ。
つまり、極端な言い方をすれば、専門的特技を持たない者は奴隷なのである。
だから、権力者は一般人に専門的特技を持たせたくないのである。
日本の首相も、世界的に見れば、おそらく奴隷なのではないかと思う。
絶対に専門的特技を持つべきで、それがないから多くのサラリーマンは不安なのである。
どこでも通用するような専門的特技があれば、嫌なら会社を辞めれば良い。
よく、「会社を辞めても良いか、しがみつくべきか」などと言われるが、辞めて良いかどうかは専門的特技があって初めて考えられることで、それがなければしがみつくしかないではないか?
ちょっと出来る程度では専門家とは言えない。
たとえば、エクセルのVBAを少し出来る程度ではプログラミングの専門家とは言えない。
しかし、エクセルのVBAでも、極めて高度に使えるなら、十分に専門的特技であるし、それくらい出来れば、他のこともすぐに出来る。
英語でも、日常会話が出来るとか、TOEICで高得点を取る程度では英語が専門的特技であるとは言えない。
そもそも、英語の専門家というのは学者みたいなもので、日本人にとっての英語は、別の専門的特技の能力を有利にするためのものである。
つまり、「英語だけ出来る残念な人」ではいけないが、そんな人が多いのである。
昔、テレビで、ある50代くらいの歌手の話を聞いたことがある。
彼女は、40代の時、歌手の仕事がうまくいかなくなり、歌手をやめようと思ったらしい。
しかし、では何をするかと考えたら、
「どんな世界でも、皆、20年30年とやっているのだから、そこに私が入っていっても敵うはずがない」
と思い、歌手を続け、それでうまくいったのである。
賢い人であると思う。全く彼女の言う通りだ。
一万時間の法則というものがあり、どんなことも、一万時間やればプロになれる。
毎日3時間やって約9年だ。
有名なコンピューター科学者のピーター・ノーヴィグも、彼の基準はかなり高いのだが、やはりプログラミングで一人前になるには10年かかると自身のブログに書いている。私も、まあ、そうかなと思う。
私は、修行時代、一日中というくらいプログラミングのことを考えていて、3年ほどで、まずまずプロと言えるほどになれたと思う。
ジャイアント馬場さんの本で読んだが、馬場さんは、彼が憧れていた、当時アメリカ1のプロレスラーだった世界王者バディ・ロジャースをじっと観察していたら、やはり、ずっとプロレスのことを考えているように見えたらしい。
馬場さんは言う。
「そりゃ、ずっと考えている人とそいうでない人では差が出ますよ」
私の一番最初の仕事はセールスマンであったが、上司である優秀なセールスマンに言われたことを憶えている。
「三か月はセールス漬けになれ。セールスのことだけ考えろ」
引き寄せだって、やはり、ずっと引き寄せのことを考えている者が引き寄せの達人になるのだと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)パーフェクトExcel VBA (PERFECT SERIES)
(2)シリコンバレー一流プログラマーが教える Pythonプロフェッショナル大全
(3)実録!天才プログラマー
(4)定年まで待つな! 一生稼げる逆転のキャリア戦略(成毛眞)
(5)英語だけできる残念な人々(宋文洲)
![ランプの灯り](https://livedoor.blogimg.jp/kaynotes/imgs/5/9/59864830-s.png)
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「ランプの灯り」
Kay
スキーや楽器も特技だろうが、それは専門的な特技の次に上げるべきものだ。
専門的な特技とは、プロであること、つまり、それで食える特技である。
専門の特技がないことは悲劇だ。
日本の政治家は素人政治家が多い。
アメリカの政治家は、弁護士や法務博士である場合が多い。
バイデンやオバマ、あるいは、ペンス前副大統領といった、あまりインテリに見えない印象がある彼らが全員、弁護士で法務博士だ。
ハリス副大統領も弁護士ではないが法務博士で、大学教授や検事をしていた。
ところが、ほとんどの日本の首相が法学士や経済学士である。
国会議員の米山隆一さんのように医師(医学博士・東大)で弁護士というのは凄いが、日本の政治家では弁護士資格を持っているだけで特殊なのだから基礎がないのだと思う。
ドナルド・トランプのように、70歳で大統領になるまで政治経験がなかったというのは異例中の異例だが、大事業家という特殊な能力は、根本的な能力や資質があれば、むしろ政治で極めて有益であることが示されたのだと思う。
日本のサラリーマンは専門や特技がない者が多い。
そもそも、専門や特技を持たなければいけないという意識が非常に希薄なように思われるが、これは異常なことと思う。
日本では昔から、ゼネラリストがスペシャリストより上という奇妙な観念があるように思うが、スペシャリストでなければゼネラリストにはなれない。
国家、あるいは企業自体が、国民に高度な専門や特技を持たせないようにしているようにも思う。
多くの企業では、社員を全然畑違いの部署に定期的に回すようなことが行われているが、これを総合力を持たせるための良いことのように言うことがよくある。しかし、それはとんでもなく馬鹿げたことであり、それをやるなら、同じ職種の別の企業に勤めることが良いのだが、日本では転職が少ないので、そのような奇妙なやり方で、最低限のフレキシブル(柔軟性)さを身に付けさせようとするのだろう。
権力者にとって、衆生が専門的特技を持たないことは都合が良い。なぜなら、そんな何も出来ない者は奴隷に出来るからだ。
つまり、極端な言い方をすれば、専門的特技を持たない者は奴隷なのである。
だから、権力者は一般人に専門的特技を持たせたくないのである。
日本の首相も、世界的に見れば、おそらく奴隷なのではないかと思う。
絶対に専門的特技を持つべきで、それがないから多くのサラリーマンは不安なのである。
どこでも通用するような専門的特技があれば、嫌なら会社を辞めれば良い。
よく、「会社を辞めても良いか、しがみつくべきか」などと言われるが、辞めて良いかどうかは専門的特技があって初めて考えられることで、それがなければしがみつくしかないではないか?
ちょっと出来る程度では専門家とは言えない。
たとえば、エクセルのVBAを少し出来る程度ではプログラミングの専門家とは言えない。
しかし、エクセルのVBAでも、極めて高度に使えるなら、十分に専門的特技であるし、それくらい出来れば、他のこともすぐに出来る。
英語でも、日常会話が出来るとか、TOEICで高得点を取る程度では英語が専門的特技であるとは言えない。
そもそも、英語の専門家というのは学者みたいなもので、日本人にとっての英語は、別の専門的特技の能力を有利にするためのものである。
つまり、「英語だけ出来る残念な人」ではいけないが、そんな人が多いのである。
昔、テレビで、ある50代くらいの歌手の話を聞いたことがある。
彼女は、40代の時、歌手の仕事がうまくいかなくなり、歌手をやめようと思ったらしい。
しかし、では何をするかと考えたら、
「どんな世界でも、皆、20年30年とやっているのだから、そこに私が入っていっても敵うはずがない」
と思い、歌手を続け、それでうまくいったのである。
賢い人であると思う。全く彼女の言う通りだ。
一万時間の法則というものがあり、どんなことも、一万時間やればプロになれる。
毎日3時間やって約9年だ。
有名なコンピューター科学者のピーター・ノーヴィグも、彼の基準はかなり高いのだが、やはりプログラミングで一人前になるには10年かかると自身のブログに書いている。私も、まあ、そうかなと思う。
私は、修行時代、一日中というくらいプログラミングのことを考えていて、3年ほどで、まずまずプロと言えるほどになれたと思う。
ジャイアント馬場さんの本で読んだが、馬場さんは、彼が憧れていた、当時アメリカ1のプロレスラーだった世界王者バディ・ロジャースをじっと観察していたら、やはり、ずっとプロレスのことを考えているように見えたらしい。
馬場さんは言う。
「そりゃ、ずっと考えている人とそいうでない人では差が出ますよ」
私の一番最初の仕事はセールスマンであったが、上司である優秀なセールスマンに言われたことを憶えている。
「三か月はセールス漬けになれ。セールスのことだけ考えろ」
引き寄せだって、やはり、ずっと引き寄せのことを考えている者が引き寄せの達人になるのだと思う。
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