これは、他の人も同じなのかどうか、私には分からないが、私はいつの頃からか、ある思い込みがある。
それは、自分は特別な人間なのだから、何があっても死ぬことはないという思い込みだ。
私は、このことを、遅くとも高校生くらいの時には自覚しており、沢山の人達が事故や犯罪で死んでいるとしても、自分はなぜか絶対に死なないと思っていた。そして、他の人が同じように感じているとは思わなかった。
だが、最近は、おそらく、他の人も同じではないかと思うようになった。
しかし、自分が特別だと思うのは幼稚な全能感から来ていると思われ、これは精神が幼いということなのだから、本当は私だって死ぬ時は死ぬのだと少しは思うようにはなった(笑)。
ただ、私には、確かに特別以外の何物でもないことがあった。
それは何度か書いているが、私が7歳くらいの頃、住んでいた団地の前にあった交通量の多い車道の中に、目をつぶって飛び込めば、車は来ないという思い込みがあり、実際、それを行った記憶がはっきりある。
そして、自分では、それをあまりやっていないと思っていたが、姉が言うところでは、私はしょっちゅうそれをやっていて、「見ていて怖かった」と言うのだが、姉に注意された覚えもない。ひょっとしたら、注意はされたが、私が「絶対大丈夫だ」と言って聞かなかったのかもしれない。まあ、それでも姉なら止めるだろうとは思うが(笑)。
そして、その他のことでも、私は何度も、実際に生命の危機に遭遇し、多少ヒヤヒヤしたケースもあったが、まあ、無事に生き抜いている。
そんなわけで、私は正直、自分について特別意識を持ってはいる。
だが、SMAPの『世界に一つだけの花』を聞くと、必ず吐き気がするのである。
自分が特別だと思う人間が一番平凡で、その思い込みが強いほど愚かで弱いのだ。
だが、『世界に一つだけの花』がヒットするのだから、自分を特別視したい人間が多いのだと思う。
いや、自我というものの性質には、自分を特別視することが明らかにあるのだと思う。
加えて私には、キリストでもどうかと思うほどの奇跡(上に述べたもの以外にも)を何度も起こしているのだから、その(自分を特別視する)傾向が強いのだと思う。
自分を特別視したい者は、特別扱いされないと辛い。まさにこれが自我の性質で、下らない人間ほど自分を特別視し、自己評価が高いが、現実には自分が特別扱いされないことに苦しむ。それで、人に迷惑をかけるような行為で自己主張し、自分が特別だと感じようとする・・・これが愚か者の典型的な特徴だ。
偏差値の高い大学に入ろうとしたり、スポーツの大会などで優勝しようとするのも、ほとんどが同じ理由であると思う。
そして、そんな能力がなければ、受験やスポーツの大会、あらゆるコンテストを極端に否定、非難するのである。
最近、チート能力(反則的な高い能力)を持つ者を主人公にした漫画、ライトノベル、アニメがウケるのも、そういった人間(自分を特別視しているが評価が得らず心が苦しい)が多いからではないかと思う。
実を言うと、私もチートものアニメが大好きだ(笑)。
さて、結論である。
心配しなくても、我々の魂は全知全能だ。
しかし、おかしなことに、自分を特別視したい自我が強いうちは、魂は表に出てこない(これない?)のだ。
では、手っ取り早く自我を抑えるにはどうすれば良いかというと、それは昔から知られていることで、命を賭ければ良い。
ある有名な武道家は「命を捨てれば良い」と言い、その意図は分からないでもないが誤解を招く恐れもあるだろう。
命を賭けるとは、まあ、危険な冒険をすることで、アニメでも『悪役令嬢レベル99』や『俺だけレベルアップな件』がそのことをはっきり描いているところが良い。
しかし、理論に裏付けられた、もっと楽な方法がある。だが、導入解説が長くなったので、午後ここに書く。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)悪役令嬢レベル99 ※Amazon Prime Video
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(3)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)
(4)神経言語プログラミング(リチャード・バンドラー)
(5)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~

AIアート997
「月夜」
Kay
それは、自分は特別な人間なのだから、何があっても死ぬことはないという思い込みだ。
私は、このことを、遅くとも高校生くらいの時には自覚しており、沢山の人達が事故や犯罪で死んでいるとしても、自分はなぜか絶対に死なないと思っていた。そして、他の人が同じように感じているとは思わなかった。
だが、最近は、おそらく、他の人も同じではないかと思うようになった。
しかし、自分が特別だと思うのは幼稚な全能感から来ていると思われ、これは精神が幼いということなのだから、本当は私だって死ぬ時は死ぬのだと少しは思うようにはなった(笑)。
ただ、私には、確かに特別以外の何物でもないことがあった。
それは何度か書いているが、私が7歳くらいの頃、住んでいた団地の前にあった交通量の多い車道の中に、目をつぶって飛び込めば、車は来ないという思い込みがあり、実際、それを行った記憶がはっきりある。
そして、自分では、それをあまりやっていないと思っていたが、姉が言うところでは、私はしょっちゅうそれをやっていて、「見ていて怖かった」と言うのだが、姉に注意された覚えもない。ひょっとしたら、注意はされたが、私が「絶対大丈夫だ」と言って聞かなかったのかもしれない。まあ、それでも姉なら止めるだろうとは思うが(笑)。
そして、その他のことでも、私は何度も、実際に生命の危機に遭遇し、多少ヒヤヒヤしたケースもあったが、まあ、無事に生き抜いている。
そんなわけで、私は正直、自分について特別意識を持ってはいる。
だが、SMAPの『世界に一つだけの花』を聞くと、必ず吐き気がするのである。
自分が特別だと思う人間が一番平凡で、その思い込みが強いほど愚かで弱いのだ。
だが、『世界に一つだけの花』がヒットするのだから、自分を特別視したい人間が多いのだと思う。
いや、自我というものの性質には、自分を特別視することが明らかにあるのだと思う。
加えて私には、キリストでもどうかと思うほどの奇跡(上に述べたもの以外にも)を何度も起こしているのだから、その(自分を特別視する)傾向が強いのだと思う。
自分を特別視したい者は、特別扱いされないと辛い。まさにこれが自我の性質で、下らない人間ほど自分を特別視し、自己評価が高いが、現実には自分が特別扱いされないことに苦しむ。それで、人に迷惑をかけるような行為で自己主張し、自分が特別だと感じようとする・・・これが愚か者の典型的な特徴だ。
偏差値の高い大学に入ろうとしたり、スポーツの大会などで優勝しようとするのも、ほとんどが同じ理由であると思う。
そして、そんな能力がなければ、受験やスポーツの大会、あらゆるコンテストを極端に否定、非難するのである。
最近、チート能力(反則的な高い能力)を持つ者を主人公にした漫画、ライトノベル、アニメがウケるのも、そういった人間(自分を特別視しているが評価が得らず心が苦しい)が多いからではないかと思う。
実を言うと、私もチートものアニメが大好きだ(笑)。
さて、結論である。
心配しなくても、我々の魂は全知全能だ。
しかし、おかしなことに、自分を特別視したい自我が強いうちは、魂は表に出てこない(これない?)のだ。
では、手っ取り早く自我を抑えるにはどうすれば良いかというと、それは昔から知られていることで、命を賭ければ良い。
ある有名な武道家は「命を捨てれば良い」と言い、その意図は分からないでもないが誤解を招く恐れもあるだろう。
命を賭けるとは、まあ、危険な冒険をすることで、アニメでも『悪役令嬢レベル99』や『俺だけレベルアップな件』がそのことをはっきり描いているところが良い。
しかし、理論に裏付けられた、もっと楽な方法がある。だが、導入解説が長くなったので、午後ここに書く。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)悪役令嬢レベル99 ※Amazon Prime Video
(2)俺だけレベルアップな件 ※Amazon Prime Video
(3)人生が楽になる 超シンプルなさとり方(エックハルト・トール)
(4)神経言語プログラミング(リチャード・バンドラー)
(5)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~

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