思いやりのない人を「心ない人」と言うのは、一般的に通用している表現だが、誤った表現だ。
いくらか正しく表現するなら、

思いやりのない人・・・心の自動的な働きを抑えられない人
思いやりのある人・・・心の自動的な働きを抑えられる人

だ。
つまり、本当は、心がない人が優しく思いやりがあり、心がある人が不親切で思いやりがないのであり、これは世間の観念とは真逆である。
世間では、「心=善」であるが、実際は、「心=悪」で、「心がない=善」である。
急にこう言われたら混乱するだろうが、具体的に見ると簡単だ。

道を歩いていたら、倒れて苦しんでいる人がいた。
それを見ると、心はこう反応する。
・自分だけが助けるなんて損だ
・助けたら、目立って恥ずかしい
・助けてたら遅刻する
・誰かが助けるだろう
・変な背景がある人だったら、助けたら面倒に巻き込まれる恐れがある
・余計な労力を使いたくない
よって、心がある人は助けない。
一方、そういった心の自動的な反応を起こさない「心がない人」は、「可哀そうだ」という魂の声に従って何も考えずに助ける。

別に、闇雲に助けろと言っているのではないばかりか、助けろとも言っていない。
誰も、他人に対して、助けろとも助けるなとも言えない。
それは、テレビ画面の向こうで、戦争や紛争に巻き込まれて負傷し苦しんでいる子供を助けに行けと言えないようなものだ。また、助けに行くなとも言えないようなものだ。
心が消えれば、正しい行動をする。

こんな映画のワン・シーンがあった。
子犬が池で溺れているのを見て、15歳くらいの少女が一緒にいた同い年くらいのスポーツマンタイプのボーイフレンドに「助けてあげて」と言うが、ボーイフレンドは「服が濡れちゃう」と全く乗り気でない。
ところが、その時、別の、やはり少女と同い年くらいの少年が池に飛び込み、子犬を助ける。
結局、少女は、子犬を助けた少年に惹かれ、今のボーイフレンドと別れたと思うが、私も小さい時に見たこともあり、憶えていないし、それはどうでも良いことだ。

また、こんな現実の場面が撮影されたことがあった。
川で子供が流されているという緊急事態だった。
その時、ある男が、その子供の親に、助けた時の謝礼の金額交渉をしていたのだ。
これは、かなり昔の話で、ますます、全てが金次第であるという世の中になっていることを感じさせ、このドキュメンタリーを放送していた番組も「子供の命も金次第」という言い方をしていた。

笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、主人公の旅の渡世人(ギャンブラー)の紋次郎は、腕は立つが、目の前で女性が殺されようとしていても無視して通り過ぎるのが常だった。
もし、助けるよう頼まれても、紋次郎は彼の決まり文句である「あっしには関わりのないことでござんす」と言って応じない。
笹沢さんは「紋次郎だって助けたくないわけではない。だが、いちいち関わっていたら命がいくつあっても足りない」という事情を書いていた。
杉井光さんの小説『神様のメモ帳』で、(個人、および、組織の両方で)かなりの力があるヤクザである雛村壮一郎(ひなむら そういちろう)は、主人公の高校1年生、藤島鳴海(ふじしま なるみ)に言う。
「助けるのは身内とそのダチ(友達)までだ。どっかで線引きしないとやってられない」
藤島鳴海は、誰でも助けようとしてしまう馬鹿であったが、雛村壮一郎はそんな藤島鳴海を気に入っていた。
雛村壮一郎だって、本当は誰でも助けたいのだ。

こういったことを理屈で説明しようとして「君たちはどう生きるか」などと傲慢なことを言いたがる偉い人(実際は金や名誉を求める人)が多い。
だが、答は心を消さなければ分からない。
言い換えれば、答は心を消すことである。
このことを、金次第の世の中で誰も気付かない。
今この瞬間に意識を集中すれば、心が消せるようになっていく。
そうすれば、だんだん答が分かって来るだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~
(2)神様のメモ帳(杉井光)
(3)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(エックハルト・トール)
(4)私の声はあなたとともに ~ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー~

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